戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を越えて(34)

2021年4月4日

忠魂碑(門真市)

 京阪本線沿い、門真市役所の南側に立つ。揮毫(きごう)者は、元大阪府知事の赤間文三氏で、1954年12月15日建立。


千里の防空壕(豊中市)

 上新田天神社が管理する竹林の中に防空壕(ごう)がひっそりと残る。ほとんどが土で覆われているが、入り口部分の穴からその名残が分かる。


旧北伊勢陸軍飛行場掩体(三重県鈴鹿市)

 県内で唯一、確認されているコンクリート製掩体(えんたい)壕。1943年ごろに造られたもので、国登録有形文化財の指定を受けている。「三重県戦争資料館」によると、終戦直後は掩体の天井近くまで盛り土があった。


鈴鹿海軍工廠正門の銘板(三重県鈴鹿市)

 自動車レースの最高峰、F1で知られる鈴鹿サーキットの北側、大池町第三自治会会議所近くに残る。碑文によると、この付近一帯は1942〜45年に「鈴鹿海軍工廠(こうしょう)」が置かれていた。戦後、大部分は農地に転用されたが、次第に工場が進出し発展を遂げた。



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