戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を越えて(36)

2021年4月18日

歩兵第216連隊戦没者供養塔(大阪市北区)

 豊臣秀吉の側室、淀君の墓があることでも知られる太融寺の境内。碑文によると、郷土部隊の一員として中国大陸で命を落とした「2362柱」の冥福を祈念して建てられた。


凱旋紀念灯籠(大阪市北区)

 淀川天神社は1945年6月7、15日に米軍機の空襲を受けたが、本殿、幣殿、拝殿は戦災を免れた。境内には、日露戦争後の1906(明治39)年に陸軍兵が建立した凱旋(がいせん)紀念灯籠が残る。


古河の大いちょう(三重県津市)

 津市役所近くにそびえ立つ、幹周囲480センチ、樹齢400年を超えるといわれる巨木。三重県戦争資料館によると、1945年7月の空襲で焼けたが、翌年奇跡的に青い芽を吹き、市民らに希望を与えた。


旧塔世橋の弾痕跡(三重県津市)

 1945年7月の空襲で被弾。89年の架け替え工事が施工されるまで使用されてきた。「戦争の悲惨と平和の尊さについて考える貴重な資料」として、現在の橋南詰に移築、保存されている。



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