豊臣秀吉の側室、淀君の墓があることでも知られる太融寺の境内。碑文によると、郷土部隊の一員として中国大陸で命を落とした「2362柱」の冥福を祈念して建てられた。
淀川天神社は1945年6月7、15日に米軍機の空襲を受けたが、本殿、幣殿、拝殿は戦災を免れた。境内には、日露戦争後の1906(明治39)年に陸軍兵が建立した凱旋(がいせん)紀念灯籠が残る。
津市役所近くにそびえ立つ、幹周囲480センチ、樹齢400年を超えるといわれる巨木。三重県戦争資料館によると、1945年7月の空襲で焼けたが、翌年奇跡的に青い芽を吹き、市民らに希望を与えた。
1945年7月の空襲で被弾。89年の架け替え工事が施工されるまで使用されてきた。「戦争の悲惨と平和の尊さについて考える貴重な資料」として、現在の橋南詰に移築、保存されている。
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