戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を越えて(37)

2021年4月25日

日露戦勝紀念碑(大阪市城東区)

 大阪メトロ谷町線野江内代駅からすぐ、野江水神社に立つ。『兵士の碑(いしぶみ)』(森田敏彦著、清風堂書店)によると1906年4月に地元の人らが建立したもので、日露戦争に出征した軍人らの名前が台石に刻まれている。同じ境内には「日支事変大東亜戦争慰霊塔」もある。


陸軍省用地境界標石(大阪市中央区)

 大阪城公園玉造口の約60メートル南に残る標石。地面からの高さは約40センチ。今や市民の憩いの場として親しまれる公園にも、戦争の歴史があったことを示している。


観音寺大宝院(三重県津市)

 1945年7月の空襲により焼失し、戦後に再建が進められた。境内には焼け残った「地蔵菩薩坐像(延命地蔵)」が安置され、右肩に「焼夷(しょうい)弾をうけた」という痕跡を見ることができる。


塔世山四天王寺(三重県津市)

 聖徳太子ゆかりの曹洞宗の中本山。1945年の空襲で総門(山門)などを残して焼失したが、国指定重要文化財の薬師如来像は難を逃れた。総門は市指定有形文化財で、江戸期に再建されたもの。



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