太平洋戦争末期の1945年、当時の旧制北野中校舎が米戦闘機の機銃掃射を受けた。7月の空襲とされ、西壁に約30発のすさまじい弾痕を刻んだ校舎は、北野高となった戦後も長年にわたり使用。2002年、大規模な校舎改築の際、平和を祈念して壁面部分が保存され、戦争の惨禍を後世に伝えている。
メモリアルウォールの前に設置。1945年6月15日の第4次大阪大空襲で学校警備中に犠牲となった旧制北野中の生徒2人を悼む。裏面には遺族の文章が刻まれている。
コンクリート造りで2部屋あり、部屋と地上を結ぶ通路は2本、それぞれ約10メートルある。空襲時に避難できる地下指揮所だったと推測されている。入場無料、見学は2週間前までに事前予約が必要。問い合わせは電話0790(42)8823、加西市観光案内所。
紀淡海峡に浮かぶ和歌山市沖の無人島、友ケ島(沖ノ島)の西端にあり、大阪湾に進入する船を待ち伏せ、砲撃することを意図した第2砲台跡。砲座が半壊の状態で残されている。
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