戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を越えて(38)

2021年5月11日

大阪府立北野高メモリアルウォール(大阪市淀川区)

 太平洋戦争末期の1945年、当時の旧制北野中校舎が米戦闘機の機銃掃射を受けた。7月の空襲とされ、西壁に約30発のすさまじい弾痕を刻んだ校舎は、北野高となった戦後も長年にわたり使用。2002年、大規模な校舎改築の際、平和を祈念して壁面部分が保存され、戦争の惨禍を後世に伝えている。


大阪府立北野高「殉難乃碑」(大阪市淀川区)

 メモリアルウォールの前に設置。1945年6月15日の第4次大阪大空襲で学校警備中に犠牲となった旧制北野中の生徒2人を悼む。裏面には遺族の文章が刻まれている。


姫路海軍航空隊の地下指揮所(兵庫県加西市)

 コンクリート造りで2部屋あり、部屋と地上を結ぶ通路は2本、それぞれ約10メートルある。空襲時に避難できる地下指揮所だったと推測されている。入場無料、見学は2週間前までに事前予約が必要。問い合わせは電話0790(42)8823、加西市観光案内所。


友ケ島第2砲台跡(和歌山市)

 紀淡海峡に浮かぶ和歌山市沖の無人島、友ケ島(沖ノ島)の西端にあり、大阪湾に進入する船を待ち伏せ、砲撃することを意図した第2砲台跡。砲座が半壊の状態で残されている。



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