戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を越えて(39)

2021年5月16日

海軍燃料廠の貯蔵庫跡(三重県四日市市)

 日永地区の山中などにコンクリートで閉ざされたトンネルの入り口。市内に置かれた第二海軍燃料廠(しょう)の燃料貯蔵庫跡といわれ、戦争の名残を今に伝える。


ドイツ製の要塞砲(三重県四日市市)

 ドイツ・エッセン州のクルップ社製の要塞(ようさい)砲。案内板によると、1924年頃に地区の名士が展示品として寄贈し、日永小校門前に展示。戦後、地中に埋められたが、81年に配水路改修工事で掘り出された。貴重な資料として展示された広場は現在、“大砲公園”と呼ばれ親しまれている。


表忠碑(三重県四日市市)

 日永小学校そばに立つ。日清、日露戦争などによる地元の戦没者名が刻んである。書は、明治から大正にかけて政治家、陸軍軍人として活躍した元帥、大山巌。


陸軍第一気象連隊跡(三重県鈴鹿市)

 鈴鹿市の北西部、石薬師高校の正門前のロータリーに戦友会有志が建立。案内板によると、この地に陸軍第一気象連隊が置かれ、その総面積は66万平方メートル。陸軍航空気象の精鋭を養成する厳しい訓練が行われた。



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