日永地区の山中などにコンクリートで閉ざされたトンネルの入り口。市内に置かれた第二海軍燃料廠(しょう)の燃料貯蔵庫跡といわれ、戦争の名残を今に伝える。
ドイツ・エッセン州のクルップ社製の要塞(ようさい)砲。案内板によると、1924年頃に地区の名士が展示品として寄贈し、日永小校門前に展示。戦後、地中に埋められたが、81年に配水路改修工事で掘り出された。貴重な資料として展示された広場は現在、“大砲公園”と呼ばれ親しまれている。
日永小学校そばに立つ。日清、日露戦争などによる地元の戦没者名が刻んである。書は、明治から大正にかけて政治家、陸軍軍人として活躍した元帥、大山巌。
鈴鹿市の北西部、石薬師高校の正門前のロータリーに戦友会有志が建立。案内板によると、この地に陸軍第一気象連隊が置かれ、その総面積は66万平方メートル。陸軍航空気象の精鋭を養成する厳しい訓練が行われた。
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