竹永陸軍特攻用飛行場の滑走路があった地域にほど近い、丘の上に現存する。周囲はフェンスで囲われ、説明板とともに飛行場があった歴史を今に伝える。
終戦間近の1945年、中京圏の防空強化のため菰野町の永井、竹成地区(旧竹永村)に特攻用飛行場が建設された。飛行場は完成したが実際に使用されることはなく、滑走路は現在、田畑に変わって跡形もない。
恒久平和を願う記念碑として竹永地区コミュニティセンター敷地内に立つ。説明板によると、同地区には2012年まで80年間にわたり住民らに見守られてきた表忠碑があったが、幼稚園・保育園の改築に伴い、現在の場所に移設。縦長の表忠碑本体は直立して埋めている。
千草地区にかつてあった陸軍廠舎(しょうしゃ)と演習場の跡を示す。三重県によると演習場は1910年から終戦までの35年間、多くの兵士らが訓練を受けた。記念碑の周囲には、陸軍用地を示す境界標石も残されている。
1 | 「反対が多いこと示す」大阪IR住民投票の署名活動 |
2 | スペシャルサポーター「Aぇ!group」 「カミオト」5時間枠に |
3 | 関西で初レギュラー ゴゴスマの石井アナ |
4 | 「ホルモン千葉」梅田に初出店 職人焼き提供 |
5 | 曜変天目茶碗を展示 藤田美術館が4月開館 |