戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて(41)

2021年5月21日

高射砲台跡(兵庫県尼崎市)

 尼崎市役所に隣接する橘(たちばな)公園内に2基が現存。高さ約3メートルの重厚な円柱型で、1基は花時計そばにあるライオン像の台座として使われている。戦時中は計6基が半円を描くように配置されていた。


空襲殉難碑(三重県四日市市)

 海軍燃料廠(しょう)など多くの工場があった四日市市は、1945年に空襲で壊滅的な被害を受けた。6月18日未明の空襲では米軍爆撃機による焼夷(しょうい)弾などで火の海と化し、約5万人が被災した。終戦から35年たった80年、鵜の森公園内に平和を祈念した碑が新たに建てられた。


戦艦陸奥の破片(三重県四日市市)

 市内に残る唯一の前方後円墳があることでも知られる志?(しで)神社の境内。戦艦陸奥は1943年6月、瀬戸内海の桂島沖で停泊中に謎の爆発を起こして沈没した。台座の碑文によると同艦の第3砲塔の破片という。


表忠碑(三重県四日市市)

 1914(大正3)年に地元の河原田村が建立。西南戦争や日清戦争による河原田地区内の忠死者の名を刻む。北側には日露戦争や太平洋戦争による戦死者の名を刻んだ平和之礎がある。



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