戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて(42)

2021年5月23日

八劔神社の「明治三十七八年戦役記念植樹」碑(大阪市城東区)

 1906年に氏子らによって建立。歩兵上等兵や一等卒など40人の出征軍人の名前が刻まれている。


陸軍獣医資材支廠正門門柱(兵庫県伊丹市)

 1942年7月に旧長尾村に設置。医薬品の管理や軍馬関連の研究などが行われたとされる。広大な敷地は戦後、引揚者支援施設などを経て住宅地に変わり、現在は中野中筋線の北野1丁目交差点そばに3基の門柱が残るのみとなっている。


鶴見神社の戦捷記念碑(大阪市鶴見区)

 鋳鉄製の剣3枚を組み合わせた形状で、地域住民らによって1906年に建立。日露戦争の勝利を記念し、出征した軍人19人の名前が刻まれている。


白鷺橋(兵庫県姫路市)

 1933年に船場川に架かり、国道2号が開通。45年7月3日夜の空襲などで被災し、欄干のあちこちに黒く焼け焦げた跡が残る。戦後、国道の拡幅に伴いそのまま移設され、由緒を記す記念碑が置かれた。


空爆の碑(兵庫県姫路市)

 第2次大戦中、姫路市は二度の空襲に見舞われた。最初は1945年6月22日、現JR京口駅付近にあった戦闘機工場が爆撃を受けた。同年7月3日の空襲では市内が焦土と化し、173人が命を落とした。同駅東側ロータリーには犠牲者を慰霊し、平和を祈念する碑が立つ。



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