1906年に氏子らによって建立。歩兵上等兵や一等卒など40人の出征軍人の名前が刻まれている。
1942年7月に旧長尾村に設置。医薬品の管理や軍馬関連の研究などが行われたとされる。広大な敷地は戦後、引揚者支援施設などを経て住宅地に変わり、現在は中野中筋線の北野1丁目交差点そばに3基の門柱が残るのみとなっている。
鋳鉄製の剣3枚を組み合わせた形状で、地域住民らによって1906年に建立。日露戦争の勝利を記念し、出征した軍人19人の名前が刻まれている。
1933年に船場川に架かり、国道2号が開通。45年7月3日夜の空襲などで被災し、欄干のあちこちに黒く焼け焦げた跡が残る。戦後、国道の拡幅に伴いそのまま移設され、由緒を記す記念碑が置かれた。
第2次大戦中、姫路市は二度の空襲に見舞われた。最初は1945年6月22日、現JR京口駅付近にあった戦闘機工場が爆撃を受けた。同年7月3日の空襲では市内が焦土と化し、173人が命を落とした。同駅東側ロータリーには犠牲者を慰霊し、平和を祈念する碑が立つ。
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