大人の社会見学

 大人にしか味わえない、大人だからこそ学びたい施設を行く−。それを「大人の社会見学」と呼ぶ。食品工場や伝統産業資料室、工業遺産など関西有数のスポットを写真に収めながら、地域との密着や歴史、魅力を取り上げていく。

中世に出逢えるまち (河内長野市)

2020年7月16日

日本遺産に認定

重要文化財の金剛寺金堂。境内には鎌倉時代の作風である「木造大日如来坐像」をはじめ国宝5点と重要文化財29点が備わる
重要文化財の烏帽子形八幡神社本殿。背後の丘陵には国指定史跡の烏帽子形城跡があり、土塁や横堀に囲まれた曲輪が保存されている
観心寺山門近くにある、「建武の新政」の立役者でもある楠木正成の銅像。幼少期にこの寺で学んだと伝わる

 大阪府内最高峰の金剛山や和泉山脈を望み、千年にわたって文化遺産が大切に守られてきた河内長野市。かつて京都と高野山を結んだ街道に位置し、南北朝の動乱の舞台にもなったことから、中世の政治、経済を巡るストーリーが昨年、文化庁の「日本遺産」にも認定された。来訪者が街中で「中世」を体験できる貴重な遺構が集積する奥河内を歩いた。

 大阪市内から鉄道に揺られて約30分ほど。河内長野市には、中世に繁栄のルーツがある天野山金剛寺と檜尾山観心寺という真言宗の二大寺院がある。

◇二つの朝廷

 朝廷が2派に分かれて争った14世紀の南北朝時代、谷あいにある天野山金剛寺では南朝の後村上天皇が京を追われ、1354〜59年の約5年間、行宮として政治を行った。このうち2年半、同時に南北朝の御在所となった時代がある。北朝の光厳、光明、崇光3上皇が幽閉状態にあった。

 南朝の御在所である「摩尼院」は北朝方「奥殿」の後方で、やや高い位置にある一方、敷地は庭園も含めると東側の奥殿がはるかに広い。

 第78代当主の堀智真座主(65)は「北朝の3上皇を丁重に扱ったのではないか」と推測する。金堂と並ぶ伽藍(がらん)にある食堂(じきどう)は役人の合議所と伝わる執務室で、堀座主は「かつての“霞ケ関”がここにあった」と解説する。

 今年に入り、金剛寺では「女人高野」を巡るストーリーが新たに日本遺産に認められた。中興に深く関わった八条女院は鳥羽天皇の第三皇女で、明治のはじめまで女人禁制だった高野山に対し、女性の参拝を許してきた歴史がある。

◇あらゆる所に中世

 後醍醐(だいご)天皇を奉じ、親政を実現した立役者ながら、後に湊川(現在の神戸市)で壮絶な討ち死にを遂げた悲劇の武将、楠木正成。その生涯には謎が多いが、正成が幼少時に学んだと伝わるのが観心寺だ。

 701年に開創されたと伝わる古刹(こさつ)。後醍醐天皇が正成を奉行として造営したとされる金堂は、府内最古級の国宝建造物だ。境内には、正成が戦死したため当初の計画が中断した三重塔「建掛塔」など重要文化財も多い。

 ほかにも中世を起源とする遺構があらゆる所に。正成が兵法を学んだ武将、大江時親邸まで、観心寺から3年間休まず通ったという逸話が残る「楠公通学橋」や、紀州に向いたとりでとなったかつての要塞(ようさい)、烏帽子(えぼし)形城跡は土塁や横堀が良好な形で保存されている。

 都心に近い立地ながら、市の面積の7割は森林。社寺を支えた中世の風景は今もその姿を伝えており、足を踏み入れると、街中で中世を体験できる。

【日本遺産】 文化庁が地域の歴史的魅力や特色を観光資源として活用するため認定している制度で、2015年に始まった。城郭や社寺、祭り、伝統芸能など有形、無形の文化財で構成。認定されると、多言語ホームページの作成や観光ガイドの育成などの取り組みに国から財政支援を受けられる。本年度は21件が認定され、総数は計104件となった。府内では、ほかに「北前船寄港地・船主集落」「中世日根荘の風景」などが認定されている。


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