大人の社会見学

 大人にしか味わえない、大人だからこそ学びたい施設を行く−。それを「大人の社会見学」と呼ぶ。食品工場や伝統産業資料室、工業遺産など関西有数のスポットを写真に収めながら、地域との密着や歴史、魅力を取り上げていく。

隠れキリシタンの里 (大阪府茨木市)

2020年11月19日

山奥深くに生きた痕跡

茨木市の山間にある下音羽地区。禁教令が敷かれた後も、キリシタンが信仰を守ってきた
発見から100周年を記念して複製した「聖フランシスコ・ザビエル像」(右)。教科書でも知られるこの絵は茨木市内で見つかった
十字架が刻まれたキリシタン墓碑

 江戸幕府による禁教令のさなか、信仰を貫いた「隠れキリシタン」たちの暮らした里が大阪・茨木にある。自然が残り、棚田が美しい景観を形成する同市内の山間部では、大正時代に入って彼らの信仰の証しが至るところで見つかった。日本での布教が知られるフランシスコ・ザビエルの肖像やイエス・キリストの磔刑(たっけい)像、十字章を冠した墓碑。折しも一昨年、長崎県は世界文化遺産の認定に沸いた。潜伏キリシタンの生きた痕跡が北摂にもあった。

◇一大中心地

 茨木、箕面両市の北部で開発が進むニュータウン、国際文化公園都市。その拠点である大阪モノレール彩都西駅から車で15分ほど行くと、新興住宅地とは裏腹、車1台がすれ違うのもやっとの山間部に入る。

 茨木市の最深部、京都府との府境に近い千提寺、下音羽地区は「隠れキリシタンの里」と呼ばれている。棚田が美しいこの地域では、山奥深くに隠れるように信仰を貫いたことを裏付ける遺物が大正時代になって見つかった。

 両地区は、キリシタン大名として知られる戦国武将、高山右近(1552〜1615年)が治めた土地柄で、キリシタンの一大中心地だった。しかし幕府により禁教令が発布されると、信者らは表面上は仏教徒を装い、隠れるように信心を守り続けた。

◇足踏み入れた宣教師

 信仰の「遺物」を見られるのが千提寺にある市立キリシタン遺物史料館だ。これまで約70点が見つかっており、このうち歴史教科書でも著名なイエズス会の宣教師、ザビエルの肖像画はこの地で発見された。

 同館を担当する市立文化財資料館の桑野梓学芸員(40)によると、1604年のイエズス会年報には、宣教師が足を踏み入れた記録も残っている。しかし「肖像画がどういう由来でここへ来て、どのように使われていたのかは分かっていない」という。

 現在、所有は神戸市に移っており、今年で発見から100年を迎え、同館では最新技術を用いたレプリカを出展している。

 ほかにも館内では、イエズス会創始者のイグナチウス・ロヨラらを描いた「マリア十五玄義図」をはじめ、絵画や彫刻、教義書など彼らの信仰の証しを目の当たりにすることができる。

 来館していた高槻市の牧師(78)は「子どものころに見たザビエル像を、はっきり思い出した。茨木の山奥に信仰の跡が残っているというのは驚きだ」と話した。

 三島地域のキリシタン キリシタン大名、高山右近は1573年に高槻城主となり、高槻や茨木を含む三島地域はキリシタンの一大中心地だった。だが、87年に秀吉が布教を禁じ、1612年には幕府が禁教令を発布。右近は14年にマニラへ追放され、三島地域では信者らが山奥深くに隠れて信仰を続けた。1920年、茨木市千提寺でキリシタン墓碑が発見されたことがその後の遺物発見のきっかけとなった。遺物史料館は入館無料。阪急バス「千提寺口」下車15分。茨木市大字千提寺262


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