大人の社会見学

 大人にしか味わえない、大人だからこそ学びたい施設を行く−。それを「大人の社会見学」と呼ぶ。食品工場や伝統産業資料室、工業遺産など関西有数のスポットを写真に収めながら、地域との密着や歴史、魅力を取り上げていく。

堺と鉄砲 (堺市)

2021年5月20日

文化と技術の発信地

現存する日本最古の鉄砲鍛冶屋敷「井上関右衛門家住宅」。現在は保存修理工事に入っており、2023年度にミュージアムとして開館予定(堺市提供)
堺の自治について議論した「会合衆」が集まったとされる開口神社。鉄砲を商い、織田信長に重用された豪商・今井宗久も仲間に加わった
江戸時代の面影を残す鉄砲鍛冶屋敷に伝わる火縄銃や大筒(内部は非公開。現在は建物を保存修理工事中)=堺市提供

 「物の始まりなんでも堺」−。自転車、線香、三味線、傘など、中世には対明貿易や南蛮貿易で海外との交易拠点として栄えた歴史的背景から、先進都市であったことがまちの誇りでもある。さらに知られているのが鉄砲(火縄銃)だ。戦国時代に種子島へ伝わり、堺の商人が製法を学んで帰ったことから一大生産地として発展した経緯がある。文化・技術の発信地としての歴史に触れようと、遺構を歩いた。

 汗ばむ陽気の5月中旬。脱いだ上着を手に、大阪・天王寺方面から阪堺電車に乗り込んだ。大和川を渡ると、沿線では堺と鉄砲との関わりが見えてくる。

◇産業として根付く

 戦国の動乱まっただ中にあった1543年、ポルトガル人が鹿児島県の種子島へ持ち込んだ鉄砲。堺の商人、橘屋又三郎が製法を学んで帰り、量産化に成功したことが産業として根付いた由来だ。

 堺観光コンベンション協会によると、又三郎が「鉄砲又」と呼ばれるほどの名人だったことや、平安時代から鋳造・鍛造の高度な技術が伝わっていた、火薬の原料となる硝石を輸入できた、という複数の条件が重なったことが最大要因だと紹介している。

◇今に伝わる作業場

 阪堺・高須神社駅から西へ進むとほどなく、江戸時代前期の鉄砲鍛冶屋敷「井上関右衛門家住 宅」がある。市指定の有形文化財で、内部(非公開)には屋敷に伝わる火縄銃や大筒が当時の作業現場の様子を今に伝えている。

 市によると、現在は建物の保存修理工事に入っており、2023年度にミュージアムとして開館する予定だ。市文化財課の担当者は「鉄砲の歴史は、今につながる堺のものづくりの原点でもある。貴重な建物の中で、歴史を体感できるような魅力ある施設を目指したい」と展望している。

◇鉄砲鍛冶を組織

 堺は中世、「会合衆」と呼ばれる町役による運営で、自治都市として栄えたことでも知られる。中でも織田信長にも重用された戦国時代の豪商、今井宗久らは職人を組織し、大量生産に成功。有数の生産地へ成長した。江戸時代に入っても職人たちは「鉄砲鍛冶屋敷」がある現在の北旅籠町周辺に住み、全国の諸大名に鉄砲を供給し続けた。

 碁盤の目のように整備された堺の旧市街地。西側が海に開け、三方に環濠(ごう)が張り巡らされた自治都市は、今も土居川や内川がその名残を残している。

 自治都市・堺 環濠都市遺跡は南北約3キロ、東西約1キロに及び、東は阪神高速堺線、西を内川、南を土居川で囲まれた地域を範囲としている。1615年の大坂夏の陣では、前哨戦で豊臣方の焼き討ちに遭い、遺跡はその後幕府が敷いた町割りの範囲。これ以前は一回り狭いものだったことが分かっている。堺は貿易で得た経済力を背景に、会合衆や納屋衆といった豪商たちによる自治が進み、当時の京都や博多に並ぶ大都市に成長した。


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