大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(2) 阿倍野区

2021年6月3日

 梶井基次郎の『檸檬(れもん)』はいまだかつて読破できないでいる。幾度も挑戦したが、やはり途中で挫折してしまう。本棚を探せば数冊出てくるはず。人生の最後を阿倍野区で過ごしていたとは。素通りせずに少し足を止めるだけで、そこには新たな発見が埋まっている。


梶井基次郎旧居跡 (王子町2丁目)

 1901(明治34)年に大阪市西区土佐堀で生まれ、進学した京都の旧制第三高校の演劇研究会の仲間が中心となって作った同人誌「青空」を中心に活動。短い生涯の中で二十数度の転居を行い、死の前年の31(昭和6)年にこの地に移り、翌年の3月24日に永眠した。『檸檬』などの短編小説で知られ、31年に及ぶ生涯で約20編の作品しか残していない。



安倍晴明生誕伝承地 (阿倍野元町5)

 平安時代の高名な天文博士・陰陽師である安倍晴明(921〜1005)は、多くの事柄を予言するなどその伝承は『今昔物語』、『大鏡』などで流布され、キツネと人間の婚姻説話で知られる。安倍晴明神社は晴明の子孫という保田家により、寛弘年間(1004〜1012)に創祀されたという。阪堺電鉄「東天下茶屋」下車南東約100メートル。



松虫塚 (松虫通1丁目)

 由来についてはいくつかの伝説がある。後鳥羽上皇に仕えていた松虫と鈴虫の姉妹官女が法念上人の念仏に感銘し出家したが、松虫の局が老後この地に来て草庵を結んで余生を送った所であると伝えられている。小さい古墳であり、被葬者は判明しない。阪堺電鉄「松虫」下車南西約100メートル。


天彩画塾跡 (松崎町3丁目)

 1904(明治37)年から25(大正14)年までこの地で松原三五郎(1864〜1946)が主宰した天彩画塾は、大阪で本格的な油彩画を教えた最初の洋画塾で、日本近代美術史に名を残す画家たちを輩出した。松崎町公園内にある。



サイト内検索