大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(4) 西区

2021年6月15日

 近年の流入人口増加に伴うマンション急増などでまちの風景は大きく変貌を遂げているが、複数の川に面した地形は、いにしえの水都大阪の姿を今に伝える。川ありきで外国にも開かれたエリアや、さまざまな歴史文化の発祥地など新旧混在の魅力があふれる。


川口居留地跡 (川口1丁目)

 1868(慶応4)年、大阪開港に合わせ、外国人に区画の競売がなされたことが川口居留地の始まりだが、貿易商人らは川口の港機能の限界に伴い神戸へ移った。以後も教会やキリスト教の伝統校、病院などが立ち並んだがほとんどが移転。居留地は99(明治32)年に撤廃された。現在は川口基督教会が往時の雰囲気を伝えている。


勧進相撲興行の地 (南堀江2丁目)

 宮廷行事「相撲節会(せちえ)」廃止後の相撲は、武士の娯楽として屋敷内などで実施。江戸幕府は風紀維持の面から勧進相撲を禁じていたが、元禄ごろから規制緩和の動きがあり、大坂では現在の南堀江高台(たかきや)地域で初めて興行されたと伝わる。南堀江公園西側に石碑が建つほか、北側の歩道には力士の姿や紙垂(しで)模様を表現したインターロッキングブロック舗装が施されている。


大阪市電発祥の地 (千代崎2丁目)

 大阪の地で初めて市営電車が走ったのは1903(明治36)年9月。現在の九条新道東側付近にあった「花園橋西詰」から港区の「築港桟橋」までを結ぶ約5キロの路線から始まった。つりに行く乗客が多かったことから「魚つり電車」などの愛称で親しまれた。市電は69年に廃止。石碑は89年に九条新道バス停付近に建てられた。


間長涯天文観測の地 (新町2丁目)

 大坂の町人天文暦学者「間長涯(ちょうがい)」こと間重富(しげとみ)(1756〜1816年)は、今はなき富田屋橋北詰の出身で、幼少期から同橋上で天体を眺めていたと伝わる。幕府が1795(寛政7)年に着手した改暦にも参画し「寛政暦」を完成させた。以後も同橋上でイギリス製の機器を使い天体観測に注力。観測中の橋は通行止めになるも、地元住民が了承していたという逸話が残る。碑は1960年に長掘川付近に建てられたが川の埋め立てに伴い長堀グリーンプラザに移された。


大阪開港の地 (川口2丁目)

 大阪の開市開港に伴い1867(慶応3)年、大阪税関の前身で、五代友厚ゆかりの川口運上所が安治川沿いに設置される。翌年に大阪運上所、72(明治6)年には大阪税関と改称。川ゆえに水深が浅く、大型船が入れなかったことから港の機能が低下していき、大阪税関は1920(大正9)年に現在の港区築港へ移転した。



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