大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(5) 住吉区

2021年6月20日

 かつて大阪湾に面し、神功皇后による海外渡航の安全祈願の故事が伝わる住吉大社。そして、全長120メートルの帝塚山古墳を筆頭に、周辺には一帯を支配した豪族たちの墓も散在している。古代から「住吉津」と、河内、和泉、大和の三国をつなぐ幹線道があり、縄文から江戸時代に至る複合遺跡も見つかっている。地域を南北に貫く熊野街道は、平安から鎌倉時代にかけて「蟻の熊野詣」と言われるほどにぎわった。今では住宅地となった人口15万人の街には、およそ1800年の歴史を感じさせる趣が随所に残る。



寺岡砦跡 (長居西2丁目)

 旧寺岡村の中心部に近い場所に当たる真光寺付近は、室町時代に幾度か合戦の舞台になり、戦国時代には畠山・三好・細川・桃井各氏間による戦いが一帯で繰り広げられた。集落を取り囲む環濠(かんごう)跡は、かつてあった砦(とりで)の濠に由来する可能性があり、「櫓の下」といった字名も伝わる。真光寺北側の神須牟地神社にある社号標石は市の有形文化財にも登録されている。


摂津酒造跡 (帝塚山東5丁目)

 NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝をスコットランドへ“ウイスキー留学”させたのが二代目阿部喜兵衛。1909年、喜兵衛は摂津酒造合資会社を設立し、大正時代には国内三大アルコール製造業者となった。摂津酒造は64年、宝酒造に合併され、73年には大阪工場も廃止。現在、神ノ木公園内には井戸の跡が埋め立てられ、石貼りのマウンド状に残っている。


弁天塚古墳 (万代6丁目)

 浄土寺山とも呼ばれ、今も墳丘の一部を地表上にとどめている市内では数少ない古墳。前方部を西北西に向けた中型の前方後円墳と推定される。国指定史跡、帝塚山古墳の南南東約1キロにあり、江戸時代の「東摂陵墓図誌」には小高い墳丘の様子が描かれている。現在、墳丘上には東大寺の本堂・庫裏が建っている。


一休禅師牀菜庵跡 (上住吉2丁目)

 室町時代の禅僧、一休宗純(1394〜1481年)が応仁の乱の戦火を逃れ、当時の坂ノ井村(現在の住吉区上住吉から南住吉付近)に雲門庵(雲門寺)と呼ばれる庵を結んだ。1476年にはその隣に「牀菜庵(しょうさいあん)」を営んだとされ、78年まで仮寓したと伝わる。この庵を訪ね、議論した堺の豪商、尾和四郎左衛門は一休の弟子となり、宗臨と号した。



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