大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(7) 住之江区・住吉区

2021年7月4日

 1974年、住之江区は住吉区との分区により誕生。大阪市湾岸部の南端にあり、大半が大和川の付け替えやそれに伴う浅瀬の拡大、さらに新田開発によって西へと拡張してきた歴史がある。かつては海岸に沿って白砂と青松が続く風光明媚(めいび)な土地柄でもあり、「万葉集」にもその美しさが詠まれている。そして、熊野詣でにも通じる交通の要衝でもあった。


加賀屋新田会所跡 (住之江区南加賀屋4丁目)

 1754年、大坂・淡路町の両替商、加賀屋甚兵衛が造営。海を干拓してつくる「新田」は江戸中期以降に幕府が奨励し、主に大坂の商人が開発の担い手になった。会所は新田経営のための施設で、この地は加賀屋の別荘も兼ねており、庭園や茶室を備えた“文化サロン”として利用されていた。



霰松原 (住之江区安立2丁目)

 奈良時代から平安時代にかけては、海に沿って堺まで続く松原で、白砂と青松が四季を通じて美しい景勝地だった。それは「万葉集」に収められている天武天皇の第四皇子、長皇子が詠んだ「霰打つ あられ松原 住吉の 弟日娘と 見れど飽かぬかも」の歌でも知られる。大阪と河内南部や紀州を結ぶ交通の要衝で、室町後期からは「紀州街道」と呼ばれた。


榎津寺跡 (住吉区遠里小野3丁目)

 7世紀後半から11世紀ごろにかけ、「榎津寺」または「朴津寺」と記す大寺院があったと推定されている。具体像は明らかになっていないが、2006年の発掘調査では大量の古代瓦が見つかった。寺院の建立には奈良時代の僧行基が関わっているとも考えられている。南北朝時代の戦乱で焼失したとされるが、今のところ中世のものと推定される瓦の出土はない。


住吉高灯籠 (住之江区浜口西1丁目)

 国内最初の灯台として、鎌倉時代末の創建とされるが不詳。元は住吉公園がある現地から西へ約200メートルのところにあったが、台風で倒壊したり、道路工事で撤去されたりしたことから移築された。当時は海岸近くに当たり、点灯すると十分灯台の役目を果たしたという。寛政年間の「摂津名所図会」にも「此の燈籠の灯殊に煌々と光鮮也とぞ」と記されている。



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