まちの名称は聖徳太子創建で知られる日本仏教最初の官寺「四天王寺」に由来する。区域の多くが上町台地の上に位置しており、高低差のあるまちを散策すると、古代から近代まで大阪を大きく揺るがした数々の歴史の舞台にたどり着く。
信州上田の武将・真田幸村が1614年の大坂冬の陣にあたり、難攻不落と称された豊臣・大坂城南側の防備を目的に構築。東西約200メートルに広がった出城で、三日月のような形状から“偃月城(えんげつじょう)”の異名があった。心眼寺前に碑が建つ。
奈良時代、国家安泰や五穀豊穣(ほうじょう)などを祈願する国分寺・国分尼寺が全国に建てられた。摂津国分寺については所在地や変遷が不明だが、現在の国分寺公園一帯で奈良時代の軒丸瓦などが出土していることから国分寺跡と推定されている。
生国魂神社周辺はかつて庶民の行楽地で、1889(明治22)年に冠雪の富士山をイメージした展望台「浪花富士」(高さ約18メートル)が建てられた。登頂路にも工夫を凝らして人気を博したが、維持費の問題などからわずか1年足らずで閉鎖に至った。
1854(安政元)年11月に相次いで発生した安政東海地震、安政南海地震の犠牲者を供養している。翌年の秋、町人が甚大な被害を後世に伝えようと、四天王寺境内の元三大師堂前に碑を建てた。現在はお堂そばにある無数の無縁墓の最上段に置かれている。
大坂夏の陣(1615年)の終盤「天王寺口の戦い」で松平忠直の軍を迎えて奮戦したが、安居神社境内の一本松のそばで戦死したと伝わる。境内には碑や幸村像(座像)があり、例年5月には慰霊祭「幸村祭」が執り行われ多くの歴史愛好家らでにぎわう。
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