大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(11) 城東区

2021年9月5日

 かつて大和川が流れていた新喜多。地区内には楠根川を埋め立て整備した緑陰歩道が通り、夕暮れの住宅街にさわやかな風が流れる。新田会所跡にハスを育てる鉢が並んでいた。緑の大きな葉の下に、かわいらしいメダカの姿。何とも涼やかで懐かしく感じた。


鴫野古戦場跡 (鴫野東3丁目)

 大坂冬の陣(1614年)で激しい攻防が繰り広げられた鴫野・今福の合戦は、この付近一帯が主戦場となった。11月26日未明、防御していた大坂方の軍勢を徳川方の佐竹義宣・上杉景勝の軍勢が攻撃。29日まで一進一退を繰り返し、乱戦の末、徳川方が勝利したと伝えられている。JR片町線鴫野駅の東約300メートル、城東小学校校庭東側。



新喜多新田会所跡 (新喜多東1丁目)

 新喜多周辺はもともと大和川が流れていたところで、1704(宝永元)年につけ替え工事が行われ、川のあった跡を開発して新喜多新田ができた。新田を経営するための新田会所も建てられた。新喜多の名前は、この新田開発を進めた鴻池新十郎、鴻池喜七、今木屋多兵衛の名から1字ずつ取って付けられた。


旧野崎道の跡 (今福南2丁目)

 京阪電鉄京橋駅付近で、京街道から分岐する古堤(ふるづつみ)街道は、野崎道ともいわれた。これは大東市の慈眼寺、通称野崎観音への参詣道として17世紀末から明治末期頃までにぎわったことによる。大阪シティバス極楽橋下車すぐ、今福小学校前。


榎並猿楽発祥の地、榎並城跡伝承地 (野江4丁目)

 猿楽は能楽の母体となった中世芸能。榎並猿楽はこの付近に座を構え、住吉神社の御田植神事に奉納し特権を得ていた。榎並城は、南北朝後期からしばしば記録に表れ、楠木正成の子、正儀も1368(正平23)年、ここに在陣した。大阪メトロ野江内代駅の東約50メートル。



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