大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(12) 鶴見区

2021年9月12日

 自転車をこいで内環を南下し、寝屋川を越えてようやく放出に到着。そこから東へ進み、東大阪市と隣接する徳庵をめぐる。お次は北へ。目的地の茨田大宮は、中環をまたいだ東側、大東市はもう目の前だ。気付けば鶴見区をぐるり一周、緑地の木陰で汗をぬぐった。



お蔭灯籠 (放出東3丁目)

 “お蔭(かげ)まいり”という伊勢神宮への参詣を記念して1868年に建立。現在、大阪市内に残るお蔭灯籠は、この阿遅速雄神社の境内に残る1基のみ。境内には天然記念物のクスの大木や、市指定文化財の「阿遅速雄社社号標石」もある。JR片町線放出駅の北東約200メートル。


中高野街道 (放出東1丁目)

 京都や大阪から和歌山の高野山へお参りする人が多く通った街道で、“剣街道”とも呼ばれた。また大和川は、1704(宝永元)年に現在の流れに付け替えられるまでこの辺りを流れ、街道を通る人たちが川を越えるために使った渡し舟の乗り場もあった。正因寺前。


徳庵納豆ゆかりの地 (徳庵2丁目)

 徳庵の地名は、かつて南北朝時代にこの地にあった寺の名にちなむといわれる。この寺では京都の大徳寺などに今も伝えられるものと同種の乾燥納豆が作られ、名産品となった。


茨田アヒルゆかりの地 (茨田大宮3丁目)

 かつて茨田は、レンコンの栽培で知られる、池や沼の多い地域だった。それを利用したアヒルの飼育は豊臣期からあったといわれ、徳川期には名産品として全国に知られた。昭和30年代にピークを迎え、その後は都市化によって飼育池が埋め立てられ、アヒルの姿も消えていった。茨田東小学校前。



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