大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(13) 西成区・阿倍野区

2021年9月19日

 西成区と大正区との間を結ぶ渡船の往来をのんびり眺めながら、どの辺りに多くの松の木の姿があったのだろうかとしばし想像してみる。川面をなでる少し冷気を含んだ風を感じて、しばしの現実逃避。川に石を投げて波紋の広がりを数えながら歩き始める。路面電車の車窓からの眺めも新鮮。人情あふれる街の風情を感じながら、史跡探訪を続けよう。



天下茶屋跡 (西成区岸里東2丁目)

 今から400年余り昔、豊臣秀吉が大坂城から住吉大社参拝や堺へ行き来する途中に立ち寄り、茶の湯を楽しんた天下茶屋跡の一角。その名も“殿下茶屋”がなまったものという。この土蔵は屋敷の北西隅にあり、恵方に向かって建てられ、秀吉を祭ったほこらでクスノキとともに往時をしのぶものである。阪堺電鉄「天神の森」下車北西約100メートル。


馬車鉄道跡 (阿倍野区清明通12)

 1897(明治30)年、大阪馬車鉄道株式会社が設立され、3年後に軌道上の客車を馬に引かせた鉄道が天王寺西門前から東天下茶屋間に開通。その後、沿線一帯の開発とともに電化の計画が立てられて1908年に馬車鉄道は廃止。10年から電化による営業が開始され、これが現在の阪堺電気軌道上町線となった。


佐藤魚丸墓所 (西成区岸里東1丁目)

 魚丸は江戸時代後期、寛政から文化年間(1789〜1818年ごろ)にかけ活躍した文人であるが、生没年とも不明。西区に生まれた商人であったが、戯作者、浄瑠璃作者として高名だった。阪堺電鉄「聖天坂」下車南西約100メートル、安養寺前。



木津川口千本松跡 (西成区南津守5丁目)

 西成区と大正区との間を結ぶ渡船「千本松渡船場」の西成区側の乗り場。江戸時代中頃、「天下の台所」を支える大きな港湾施設が必要になり、幕府が石堤を築いて整備。堤の上には多くの松が植えられ、「千本松」などと呼ばれた。天橋立や美保の松原と並ぶほどの美観だったという。



サイト内検索