大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(15) 此花区・港区

2021年10月3日

 開発著しい大阪のベイエリアに伸びる「JRゆめ咲(さき)線」沿いを歩く。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが待っているのか、はたまた舞洲でスポーツ観戦か。電車は勢いよく走り去っていく。いつもは車窓から何げなく見ている景色の中にも、人々の暮らしがあって、歴史がある。通り過ぎてしまわぬように、今日はゆっくり歩こう。


波除山跡 (港区弁天5丁目)

 昔から大阪は、淀川や旧大和川の洪水で大きな被害があり、江戸時代前期には根本的対策として種々の工事が行われたという。1684(貞享(じょうきょう)元)年、市内では淀川の治水対策として九条島を開削し、新しい川(安治川)を通した。そのときの土砂を南岸に積み上げてできた小山で、その後、山の崩壊を防ぐため植林した松が茂り、有名だったという。大阪メトロ中央線・JR「弁天町」下車、北西約750メートル、弁天東公園。



大阪鉄工所跡 (此花区西九条7丁目)

 イギリス人実業家のエドワーズ・ハズレット・ハンターが近代日本の黎明(れいめい)期に創設した造船工場で、1881(明治14)年創業。98年には桜島に移転し、後に日立造船へと発展する。六軒家川水門を望む春日出橋南詰には創業当時の姿を刻んだ銅板入りの同社の記念碑もある。大阪シティバス此花区役所前の南東約800メートル。


八州軒の跡 (此花区春日出南1丁目)

 1698(元禄11)年から1702年にかけて大阪湾を開発して作られた春日出新田の会所は、その2階から淡路、紀伊、大和、河内、和泉、播磨、山城、摂津の八州の風光が眺望できたことで、八州軒と呼ばれた。建物は大正期に横浜市の三渓園に移築され、臨春閣の名で現存する。大阪シティバス此花区役所前の南東約600メートル、春日出公園。


汽車製造跡 (此花区島屋4丁目)

 鉄道庁長官を務めた井上勝は、退任後の1896(明治29)年、汽車製造合資会社を設立し、民間では初めてとなる機関車製造に乗り出した。99年に現在の島屋地区に敷地面積約18万平方メートルの工場を開設した。1972年に川崎重工業に吸収合併されるまでの約70年間に延べ7900両を超える機関車や客車などを製造した。安治川口北公園。



サイト内検索