大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(17) 東成区

2021年10月17日

 「深江の菅(すげ)細工」は、本紙でも人物紹介や町歩き、有識者のコラムなどさまざまな形で取り上げてきた大阪市が誇る無形文化財。顕彰碑が立つ深江稲荷神社の北側に深江郷土資料館があり、江戸時代に名産となった菅笠(すげがさ)の歴史や、同神社前に自宅を構えた人間国宝の釜師、角谷一圭氏(1904〜99)の作品を紹介している。資料館前に復元された菅田で、青々とした葉が秋風に揺れていた。


二軒茶屋・石橋旧跡 (東小橋1丁目)

 東小橋地区は、江戸時代、暗越(くらがりごえ)奈良街道を利用し、大坂から奈良、伊勢方面へ旅立つ出発点になっていた。街道をはさんで茶店「つる屋」「ます屋」があり、ここで見送り人と別れを惜しんだり、名物の「深江の菅笠」を求めたりするなどした。つる屋は明治40年ごろまであった。JR玉造駅の東約50メートル。



深江菅笠ゆかりの地 (深江南3丁目)

 深江地区は、大和笠縫(かさぬい)氏の子孫が古くから移住したところと伝わる。「菅の里」の別名があり、明治頃まで近辺の人々はかさづくりに従事していた。かさは伊勢神宮の道中用に使われ、伊勢神宮式年遷宮と天皇即位式大嘗(だいじょう)祭には、今もこの地から納められている。深江稲荷神社前、大阪シティバス高井田の西約100メートル。


法明寺 (深江南3丁目)

 1318(文保2)年、法明上人の創建。法明上人は、融通念仏宗の大念仏寺を再興した後、同寺に隠とんした。境内には「雁塚(かりつか)」と呼ばれる4層の石塔が2基ある。1基は1262年(弘長2)年、もう1基は1339(延元4)年と記されてある。


妙法寺契沖遺跡 (大今里4丁目)

 江戸時代中期の僧で国学者の契沖(けいちゅう)は、11歳のときに妙法寺で得度。その後、同寺の住職を務めた。水戸光圀の求めに応じて取り組んだ万葉集の研究書『万葉代匠記』の執筆は、ここで行われ、謝礼は全て寺の修復と信徒の救済に充てられたという。残念ながら当時の遺構は残っていない。大阪シティバス大今里の北約100メートル。



サイト内検索