大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(18) 東住吉区

2021年10月24日

 東住吉区は大阪市南部にあり、9割を住宅地が占める。昭和初期以降に市街地化が進み、戦後は急速に発展。鉄道各駅付近は商業施設としてにぎわう。大阪メトロ駒川中野駅から続く全長540メートルの駒川商店街は天神橋筋商店街などと並ぶ大阪有数の商店街だ。古くは豊かな稲作地帯で桑津遺跡はその象徴。住道(すむち)廃寺など古代以来の史跡に恵まれた地をたどる。


桑津今川堤跡 (中野3丁目)

 江戸時代、今川に沿う堤には、約4キロにわたってハゼが植えられていた。平野・大念仏寺への道筋にも当たり、紅葉の季節には名物「桑津のしんこ餅」の売店が並んでにぎわった。ここで一息つく老人らが嫁の悪口を言い合ったところから「嫁そしり堤」とも呼ばれた。付近には「平等堤」という名もあったが、一帯の杭全庄が一時期、名目上の宇治平等院領となったことにちなむ。



酒君塚 (鷹合2丁目)

 日本書紀によると、酒君は百済の王族で、仁徳天皇の命を受けてタカを飼育したとあり、史跡のある「鷹合」の地名はこの故事にちなむとされる。発掘調査により、上部を削られ低くなった古墳に江戸の終わりから明治のはじめに盛土をし、墳丘状にしたものであることが分かった。元の形状は不明。頂上の石碑は1901(明治34)年に建てられ、中央に大きく「酒君塚」と刻まれている。


住道廃寺跡 (住道矢田8丁目)

 住道は「須牟地(すむち)」とも。平城京遷都を主導し、大宝律令の制定に関わった藤原不比等が建立し、遣唐使の一人でもある奈良時代の僧玄※が開基したと伝わる。その後、平安末期の源平合戦により焼失したとされる。碑石が建つ丘は、戦火で焼けた灰を集めたとも。近くの寺院には須牟地寺の塔のものとされる奈良時代の芯礎石が残っている。

※は日方

桑津遺跡 (桑津5丁目)

 市立桑津小正門脇の石碑。京都大が1929年、運動場付近を初めて発掘調査した時に発見された。北田辺など一帯の縄文前期から中世に至る複合遺跡で、弥生時代中期を代表する「桑津式土器」は考古学上、重要な価値がある。90年に体育館を全面改築した際、舞台下付近から約1万年前の石器や弥生時代中期の土器が大量に出土。その後も一帯で集落跡や日本最古の木簡も見つかっている。



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