大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(20) 旭区

2021年11月14日

 自転車にまたがり、淀川の河川敷をゆったり走る。野球やラグビー、ランニングに汗を流す子どもらの姿がまぶしい。旭区の城北公園内にある「城北菖蒲園(しろきたしょうぶえん)」では、5〜6月にハナショウブ約250品種、1万3千株が咲き誇る。この2年、新型コロナウイルス禍で開園中止が続く。花シーズンに合わせた恒例の屋外イベントもない。地ビールやご当地グルメに舌鼓を打った“ビフォアーコロナ”を思い出し、城北大橋の下で生唾を飲み込んだ。



葱生城跡 (生江3丁目)

 葱生城は、織田信長との戦いで、本願寺側が周辺の防衛線として築いた出城の一つと考えられている。城北大橋近く、浄土真宗本願寺派の常宣寺がある同地は、本願寺教団と関わりの深い土地だが、いつごろからこの辺りが拠点となったのか、どのような城郭であったのかも明らかではない。


赤川廃寺 (赤川4丁目)

 水運が主な交通手段であった時代、淀川近辺にはたくさんの荘園が置かれ、洪水を鎮め、荘園の経営が順調に行えるよう寺や神社が建立された。赤川寺はいつの頃からか廃寺になったため、寺院の正確な位置は分かっていない。しかし寺の僧が写した大般若経が残る。淀川堤防上。


森小路遺跡 (新森4丁目)

 1931(昭和6)年、土地区画整理の際に発見された、主として弥生中期の集落遺跡。弥生中期と古墳中期の土器などが多数出土している。標高3メートル以下にあたり、市内における“最低平地遺跡”としても注目を集めている。大阪シティバス新森公園前すぐ、新森中央公園内。


橋寺廃寺(太子橋3丁目)

 1959(昭和34)年、淀川の河川敷で井戸や古代の瓦、中世の土器などが発見された。このあたりに寺院があったと想定され、旧地名から「橋寺廃寺」と名付けられた。文献史料からこのあたりには高瀬橋が設けられていたと推測されており、同遺跡は『行基年譜』にある四十九院のうち高瀬橋院である可能性も考えられている。淀川堤防上。



サイト内検索