大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(21) 浪速区

2021年11月21日

 区の名称は王仁(わに)博士の和歌に由来する。大阪市内では最も狭い行政区だが、市のほぼ中心に位置しており「なにわ」を象徴する区にふさわしい。いまや国内外に知られる商業エリアに発展した区域を巡ってみると、水運やスポーツ、災害といった、さまざまな歴史の跡地がひっそりとたたずむ。



巡航船ゆかりの地 (湊町1丁目)

 1903年、天王寺公園一帯が会場となった「第5回内国勧業博覧会」の開催を受け、同年に大阪巡航合資会社が創設された。来場者の利便性向上を図って船の運航を開始。新町橋−湊町−戎(えびす)橋−日本橋間をはじめ、航路を拡大させたが、市電の新路線開通の影響を受けて、10年後には廃業に至った。湊町リバープレイス北側の湊町船着場東端に解説板がある。


大地震両川口津浪記碑 (幸町3丁目)

 大正橋東詰に建つ。碑文には1854年の6月14日、11月4、5の両日という短期間に続けて大坂を襲った大地震と津波の被害などが克明に刻まれている。碑は地震の翌年に地元町民が慰霊と後世の人々のために建立。津波の発生を想定して船による避難を禁じた上、高所への避難、火災と建物倒壊への注意、貴重品の保管など発災時の心得の数々を伝えており、現代の防災の備えにも通じる戒めとなっている。


大阪国技館跡 (恵美須東3丁目)

 1919年、新世界に大阪相撲の興行場所として国技館が建設された。ドーム式屋根が特徴の鉄筋コンクリート・レンガ造の洋風建物は威容を誇ったが、当時の大阪相撲協会の内紛などで大阪相撲自体が衰退したとされる。新世界のスパワールド北側に石碑と解説板があり、往時の姿を今に伝えている。


難波御蔵・難波新川跡 (難波中2丁目)

 大阪スタヂアム跡地に建つなんばパークスの一帯は、江戸期は幕府の米蔵「難波御蔵」が立ち並ぶ広大な敷地だった。白塀と松に囲まれた風景は当時の名所錦絵『浪花百景』にも描かれている。ここへ米を運ぶために道頓堀川の大黒橋付近から南へ分岐した水路「難波新川」が開削された。川は戦後の高度経済成長期まで残り、1958年ごろから順次埋め立てられた。



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