大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(23) 福島区

2021年12月5日

 学問の神様・菅原道真が太宰府へ左遷される途中、この地に立ち寄った際に名付けたとされる「福島」。“天地”を川に挟まれた区域を巡ると、『平家物語』にも記された戦略論争の地や、かの秀吉もめでた藤名所など、数々の歴史を彩った跡地が迎えてくれる。


雙松岡塾跡 (福島1丁目)

 幕末の1861年、江戸幕府の学校「昌平黌(しょうへいこう)」で学んだ松林飯山(はんざん)、松本奎堂(けいどう)、岡鹿門(ろくもん)によって田蓑(たみの)橋北詰に開かれた漢学塾で、塾名は3者の名前に由来する。跡地である大阪地方検察庁南側には1943年に建立された石碑が残る。


愛隣夜学校跡 (福島7丁目)

 昼間に働く子どもたちに教育の機会を与えようと、1896年にクリスチャンの林可彦が現在の上福島公園付近に設立、経営した。98年には博愛社に移管されたが、1923年に休校に至った。


野田の藤跡 (玉川2丁目)

 いまや福島区の花として多くの区民に親しまれているノダフジ。かつての野田や玉川一帯は海に面した湿地帯で、藤名所だったとされる。野田の藤は「吉野の桜」「高尾の紅葉」とも並び称され、1594年には豊臣秀吉が藤見物に訪れたことでも知られる。野田の藤は戦災で失われたが、伊予国宇和島藩主・伊達村候(むらとき)が野田から持ち帰っていた藤の子孫の苗木が2000年に“里帰り”したことで話題となった。春日神社の境内に石碑がある。



逆櫓の松跡 (福島2丁目)

 「治承・寿永の乱」を前に、源義経と参謀の梶原景時が船を使った作戦について評議した場所と伝わる。前後の移動が可能なように船首用の櫓(逆櫓)を取り付けようと提案した景時に対し、義経は退却を潔しとせず、逆櫓を拒否したとされる。



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