Voice(ボイス)

 大阪を舞台に活躍している“旬な人物”にスポットを当てた大型インタビュー企画「Voice」。それぞれが抱く思いとは。今後の大阪や次世代へ贈るメッセージを語っていただく。

大阪教育大付属池田小学校校長 真田 巧さん

2020年6月14日

悲しい事件、今も 「命の教育」推進を誓う

大阪教育大付属池田小の敷地に立つ「祈りと誓いの塔」=2020年6月8日午前10時10分すぎ

 大阪教育大付属池田小(池田市)の校内児童殺傷事件から、今月8日で19年がたった。事件当時も同校に在籍し、今年4月に校長となった真田巧さん(52)は「子どもたちを守れなかった悔しい気持ち、悲しい気持ちを今の教職員に伝えたい」と話す。今年の「祈りと誓いの集い」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため児童の出席が限られたが、学校現場は15日に通常授業を再開する。「これまでの取り組みが停滞することなく、安全管理の徹底、安全教育や命を大切にする教育の充実に努める」とは、真田さんが当時の教職員と共有した誓いでもある。事件の惨状を知る教員として秘めた思いに迫った。

■思い込み

 大阪教育大の学生時代、教育実習のため、豊中市内の出身校を訪れた。子どもたちと遊び、勉強し、「先生」と慕ってくれることに楽しさや充実感を覚え、教員になろうと決意した。教員生活は1991年に豊中市の小学校でスタートした。目の前の児童だけでなく、児童の背景や家庭環境にも目を向け、関わっていくことの大切さを知った。

 97年に大阪教育大付属池田小へ赴任。この学校では他校の教員を前に研究発表しなければならず、どう対応すべきか悩んだこともあった。当時の先輩だった佐々木靖・前校長から教わりながら、自分のスタイルが形になってきたと思っていた頃、2001年6月8日に事件は起きた。

 当時の私は6年生の担任で、校舎3階の教室にいたため、階下で何が起きたか分からなかった。窓から校庭をのぞくと、児童が逃げている姿が見え、教員が倒れていた。3階の児童に扉を閉めて教室にいるよう伝えた後、校庭に出て、児童の避難誘導に当たった。それしかできなかった。申し訳ない気持ちだ。亡くなった1、2年生の児童8人の命を救えず、負傷者の救急搬送に関われなれかった。犯人の侵入を安易に許してしまった。

 私たちの中に「学校は安全なところ」という根拠のない思い込みがあった。事件を機に、「学校は子どもの命を預かる場所」と強く感じるようになった。その後、私は05年に豊中市の小学校へ異動になったが、佐々木さんは池田小に在籍し続けた。11年に私が副校長として戻ってきた時、佐々木さんは校長になり、事件の重みを一身に受けていた。管理職として学校を運営し、児童、保護者を大切にする佐々木さんの姿勢はその後の私の参考になった。

■特別な日

 私は17年に再び池田小を離れ、今年4月、豊中市教委から池田小へ3度目の赴任となり、校長になった。今年は新型コロナ感染拡大防止のため、今月8日の「祈りと誓いの集い」は本来の姿で実施できなかったが、その夜、池田小に関わった教職員らが花を持って学校に来てくれた。現在は他の学校や教育委員会で働いていても、6月8日は「特別な日」と皆が捉えている。事件が起きた池田小へ赴任してくる教職員は「覚悟」を持ち、この学校に通っているのだと思う。

 在籍する教員の中で、私は唯一の事件経験者になった。子どもたちを守れなかった悔しい気持ち、悲しい気持ちを今の教職員に伝えたい。一方で、事件を知っている、知らないではなく、目の前の子どもを取り巻く環境について課題を共有し、一緒に考える組織でありたい。事件当時の教職員は、二度とこのような事件を起こしてはならないという安全管理の徹底と、命を大切にする教育の推進を誓い合った。教育の力によって人を傷つける側の人間ではなく、自他の命を大切にし、人を守る側の人間を育てたい。

 15日、学校は全面再開するが、新型コロナの感染を防ぐため、子どもたちにもできることはある。手洗いは周囲の人に感染させないことにつながる。子どもたちは守られる側だが、守る側の人間になってほしい。事件を機に導入した「安全科」の授業を通して、自分の身を守るだけでなく、将来安全な社会をつくる大人を育てたいと思う。

■諦めれば変わらず

 事件から19年たった。歳月の長さを感じるが、あっという間だったと思うこともある。校庭で遊んでいる子どもたちの姿を見ると、あの時のことを思い出す。子どもたちは泣きながら逃げ、救急車や警察車両が並び、上空にはヘリコプターが飛んでいた。子どもたちを心配するたくさんの保護者の方々が駆け付けてこられた。運動場に待機する子どもたちは、不安におびえていた。

 来年で20年になるが、20年だから特別ではなく、1年、1年、日々の積み重ねだと思う。子どもが巻き込まれる悲しい事件が今もなお続いていることは残念であり、無力さを感じるが、諦めれば何も変わらない。学校、保護者、地域、関係機関と連携し、子どもたちのために何が一番大切かを考えることが大事だ。

 さなだ・たくみ 1967年、豊中市生まれ。大阪教育大卒。91年に教員生活スタート。豊中市内の公立小学校を経て97年に大阪教育大付属池田小へ赴任。2005年に豊中市の小学校、07年に豊中市教委へ異動となり、11年に池田小の副校長に。17年に豊中市教委へ再び異動となり、20年4月に池田小の校長就任した。
 【池田小児童殺傷事件】 2001年6月8日午前10時10分すぎ、大阪教育大付属池田小(池田市)の校舎に、包丁を持った宅間守元死刑囚=当時(37)=が侵入。教室にいた児童らを次々と襲い、2年の女児7人と1年の男児1人を殺害し、1、2年生の児童13人と教員2人に重軽傷を負わせた。国と学校は安全管理の不備を認めて謝罪。全国各地の学校が安全対策を強化する契機となった。


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