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創業者である祖父、泰輔氏の遺影を前に並ぶ父の義光氏(右)と兼輔氏=大阪市西区の本社 |
美容室の「美粧館」と理容室の「理髪館」を大阪府、兵庫県内で多店舗展開するマツモト(大阪市西区)。社長の松本兼輔さん(48)は3代目だ。創業家に生まれ育った松本さんの来し方は「ぼんぼん」な雰囲気を醸し出していたが、一方で、柔軟生も養っていた。行く末として創業100周年を見据える3代目の横顔に迫った。
人気お笑いコンビ「ダウンタウン」の浜田雅功さんは全寮制の高校に通い、規律の厳しい生活を送っていたことが話題になっていた。実は、私も全寮制の中学、高校で学んでいた。大阪府羽曳野市の四天王寺羽曳丘中学、高校(現・廃校)だ。周囲の同級生は「わんぱく」な男子が多かったが、あまりの厳しさに寮を“脱走”することもあった。寮の先生に鍛えられた日々は、今となってはいい思い出だ。先輩に嫌われないように、その頃から処世術を身に付けようとしていた。
卒業し、進学した先は芦屋大(兵庫県芦屋市)。中学、高校で続けたテニス部に大学でも入部したが、大学生活はもっぱらビリヤードに熱中した。私は11歳の頃からキューを握り、「ビリヤードの神様」と称されるエフレン・レイズ選手(フィリピン出身)に憧れていた。学生の頃はビリヤードブームで、大阪でも盛んだった。私は1日10時間ぐらいビリヤード場で玉を突いていた。テニスに負けても悔しくなかったが、ビリヤードで負けると悔しかった。
そんな学生時代だった。当時を振り返ると、中高校時代の全寮制の生活から抜け出し、自由を満喫していたと思う。外から見れば、「ぼんぼん」なイメージを持たれていたかもしれない。
最初の就職先は、モスバーガーだった。社員として働き、兵庫県西宮市内で店長を務めていた頃、ある新聞記事が目に留まった。セルフコーヒーショップのパイオニアとされるドトールコーヒー創業者、鳥羽博道氏の経営理念を紹介していた。感銘を受け、ドトールコーヒーに入社。大阪・心斎橋のショップで働いた。その後、アサヒビールに転職し、サラリーマンを続けていたが、ある日、父親=義光氏(78)=に呼び止められた。
「うち(マツモト)に入れ」と。サラリーマンの私が気楽に仕事している、と父の目には映ったようだ。「サラリーマン気質が付きすぎている」と父から言われたことを今でも覚えている。私としてはあと5年ほど「修業」したいと考えていたが、28歳でマツモトに入社することになった。最初の2年はマツモトの飲食部門に携わり、ゴルフを覚えたのもこの頃だ。おかげで、スコア70前半で回れるぐらい上達した。
マツモト創業50周年を前にしたある日、私は父に提言したことがある。当時の美容室の名称「KID's美容室」に違和感を覚え、名称の変更を迫った。「子ども専用の美容室と誤解されてしまう」「うどん屋でラーメンを売っているようなものだ」と。私の言うことに、父は応じてくれた。そして、現在の「美粧館」に変更したわけだが、父の後を継ぐ私に対する従業員の見方は芳しくなかった。
当時の私は30歳そこそこの若造。実力も無いのに、偉そうにしていた。いつの間にか、従業員を見下してしまっていた。年上の社員の方々に失礼な態度も取っていた。専務の肩書を前面に出し、従業員に歩みよろうとしなかった。「あの人が社長になるなら、私は会社を辞める」という投書が届いたこともあった。
このままではいけないと痛感し、どうすればいいか回答を得るため本を読んだ。人を変えようと思ったら、自分が変わらなければいけない、とどの本にも書いてあった。逆に言えば、自分が変われば、人を変えられるということ。これを実践して5年たった頃には、職場でコミュニケーションを取れるようになっていた。誤解を恐れずに言えば、物事は単純なんだと思った。
父には2人の兄がいて、父は、創業者である祖父=故・泰輔氏=の会社から「分家」した格好だ。10店舗でスタートした理美容室は現在、理容23、美容36の合計59店舗を数えるようになった。多店舗展開を可能にした背景には、地域一番のサロンを目指し、親切、丁寧、迅速を心得として年中無休でサービス向上に努めたことがある。
さらに、従業員を思いやる社風が今につながっている。理容室でも女性の従業員が増えたため、父は店内の鏡台スペースを割いて女性用の化粧室を設けるなど従業員に気を配った。「組織を大きくするよりも、強くしたい」と父はよく言っていた。
私の友達には2代目、3代目の経営者が多く、売り上げを伸ばすことを常に考えている。確かに売り上げは大切だが、私はマツモトを100年続けるため組織を強くしたい。そのために、何をするか。時代に応じて変えていく。その際、従業員の声をしっかり聞く。決断するのは社長だが、「聞く耳」は欠かせない。少数の意見にも正しいことがあるはずだ。
今にして思えば、大学を卒業してすぐにマツモトに入社していたら、こうした考えを持っていなかった。マツモトに入社するまで、いろいろな経験を積んだことで、自分の性格を柔軟に修正できたと考えている。
創業100周年の2054年、私は81歳になっている。その頃、小学6年の長男は44歳。次世代にバトンタッチし、マツモトの行く末を見届けるつもりだ。
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