Voice(ボイス)

 大阪を舞台に活躍している“旬な人物”にスポットを当てた大型インタビュー企画「Voice」。それぞれが抱く思いとは。今後の大阪や次世代へ贈るメッセージを語っていただく。

ビジョンメガネ社長 安東 晃一さん

2022年4月14日

しんがり承ります 会社再建へ覚悟

ビジョンメガネ歌島橋店=大阪市西淀川区(提供)

 織田家存亡の危機に、敵を食い止める「しんがり」を務めたのは木下藤吉郎だった。後の豊臣秀吉(1537〜98年)である。しんがり承ります−。そんな戦国時代の武勇伝が重なり合う。ビジョンメガネの再建に向かった社長、安東晃一さん(49)による「覚悟」のことだ。

■白羽の矢

 1996年4月にビジョンメガネへ入社した時、いつかは店長になりたいぐらいの気持ちだった。それが、入社わずか半年で大阪・大東店の店長になり、3年目に「花形店」と呼ばていた放出店の店長に抜てきされた。

 私は、頼まれると断れない性格のため、何でも「はい」と言ってしまう。放出店は、業界初となるISO9002(品質マネジメントシステムの国際規格)認証取得の対象店舗になり、その担当者としても尽力していた。入社6年目には本社の営業推進部への配属を告げられ、社員教育担当に就くことになった。人前で恥ずかしがらず、大きな声で話すことができたので、「白羽の矢」が立ったのかもしれない。

■上場廃止

 この頃、業界は新興の格安メガネチェーンが台頭していた。ビジョンメガネも低価格帯のブランドを立ち上げて対抗したが、価格競争は激化するばかり。安さに加え、ファッション性を兼ね備えた新興勢力に敗れ、ビジョンメガネは2009年3月に上場廃止に至った。入社して丸13年たった時のことだ。当時の私はIR(投資家向け情報提供)を担っていたので、まさに会社の現状を肌で感じた。

 「白羽の矢」が立った話を先ほどしたが、次は、当時の社長から「お前がやれ」と会社のかじ取りを担うよう指示された。11年1月のことであり、当時の私は38歳。「若いので、できません。無理です」と断ったが、あみだくじで決めることになり、「社長」を引き当ててしまった。「これも運命か」と覚悟した。

 私の性格である「頼まれると断れない」には訳がある。一度断ると、二度と頼まれなくなる。チャンスがなくなるという恐怖心が私の中にあるのだ。だったら、「やってみよう」という思いが強い。社員教育担当を任された時も、やり方を知らなかったが、とにかくチャレンジした。だから、社長のポジションも引き受けた。

■39歳でかじ取り

 11年6月24日の株主総会で社長に就任。翌25日が私の誕生日だったので、39歳で会社再建に向かうことになった。

 しかし、ビジョンメガネ親会社のビジョン・ホールディングスが資金繰りに行き詰まり、自主再建を断念。13年11月に民事再生法の適用を申請し、スポンサー企業の下で再建に取り組むことになった。「私がやるしかない」とビジョン・ホールディングスの社長も引き受け、取引先への謝罪行脚に向かったが、「だましましたね」「あなたでは再生できるとは思えません」と厳しい言葉を受けた。

 この頃、ストレスがたまり、皮膚がんを患った。次女が生まれたばかりだったから、死ねないと強く思った。そして、ビジョンメガネの歴史を途絶えさせてはいけない。入社していろいろな方々にお世話になっただけに、絶対に無くしてはいけないと誓った。

■励ましの声

 心の支えになったのが、各店舗から届く「顧客のアンケートはがき」の内容だった。会社の苦境をニュースで知った顧客から「応援しています」と励ましの声が数多く寄せられた。「販売スタッフのサービスが素晴らしい。ありがとうございます」と社員を褒めてくれる言葉もあった。

 民事再生法の適用を申請した時、社員はどうしたらいいか分からなかったと思う。不安な状況にもかかわらず、笑顔を絶やさないで、顧客に接していた。苦境でもしっかり接客する社員のことを思い、「何がなんでも会社を再生しなければ」と気持ちを引き締めた。

■黒字化達成

 どん底から挽回し、15年に8年ぶりの黒字化を達成。21年は、再生後最高の賞与支給額となった。今後も地域密着型の店舗づくりを目指すとともに、社員が社長に相談できる環境づくりを進めたいと思う。

 会社再建を支えてくれた社員がいきいきと働ける環境をつくる。そのためにも、社員だけでなく、パートやアルバイトを含む全従業員が会社に対する意見、仕事の悩みなど発信できる専用のメール窓口を設けた。相談、意見、提案のローマ字表記の頭文字を取って「SITメール制度」と名付けた。英語の「SIT=座る」と掛け合わせ、社長がいつでも社員の横に座って耳を傾ける思いを込めている。

 もうひとつ、会社再建の経験を業界の活性化に役立てたいと思う。メガネが無ければ生活に支障を来すだけに、業界を縮小させるわけにはいかない。経営難の会社があれば、私たちのノウハウを役立ててもらうような事業展開も考えていく。

■一番後ろで

 私は、先頭に立って社員や業界をけん引する創業者、起業家のような機関車タイプではない。むしろ、一番後ろで見守るタイプだと思っている。その意味では、しんがり承ります−の木下藤吉郎かもしれません。

 あんどう・こういち 1972年、大阪市生まれ。大阪国際大経営情報学部卒。96年にビジョンメガネに入社し、2011年に社長就任(生え抜き社員初の社長)。13年、親会社のビジョン・ホールディングス社長に就いた。メガネをかけ始めたのは小学5年生の頃。「メガネは、ほとんどの人が一生に一度は必要になる」との母親の言葉が心に残っている。
 【ビジョンメガネ】 本社は大阪市西区南堀江3丁目14−12。1976年創業。資本金5千万円。メガネ、コンタクトレンズ、補聴器とその関連商品を取り扱う小売専門店チェーン。従業員は430人。店舗は15都府県に106店(2022年3月1日時点)。


サイト内検索