いざ出陣! ガイナ戦士!! 昨季JFL14位の悪夢を振り払うべくJ経験者を増員し、命題のJ2昇格に挑む新生ガイナーレ鳥取。燃えるイレブンの「インサイド」に迫りながら、全メンバーを連載で紹介する。

鳥取で歴史つくりたい ヴィタヤ・ラオハクル監督
2008年10月29日
練習や試合中は厳しい表情を見せるヴィタヤ監督も、終われば選手と談笑して笑顔。「人を育てるのが幸せなんだ」
松下(現ガンバ大阪)で元日本代表の本並(後列左)や永島(前列左から2人目)と共にプレーしたヴィタヤ(後列右)

 「人を教えるのが好き。すごく幸せ」。人なつっこい笑顔を見せた。選手時代に「タイの国民的英雄」とたたえられた指揮官は、この鳥取で「歴史をつくりたい」と静かに燃える。

 17歳でタイ代表に選ばれ、釜本邦茂氏の目に留まってヤンマー(現セレッソ大阪)に入団。その後、タイ人で初めてドイツ・ブンデスリーガに渡り、奥寺康彦氏と共にプレーした。

 ドイツではプレーの傍ら、指導の勉強に励んだ。「人を育てたい。もっと上手にしたい」。水口洋次監督率いる松下(現ガンバ大阪)に移籍後、選手を経てコーチになり、指導者として手腕を発揮。チームを1990年の天皇杯優勝に導いた。

 昨年、ガイナーレの監督となった水口氏に誘われた。所属するタイのクラブに「欲しい金額を出すから残ってくれ」と引き留められたが、「また水さんと一緒にしたい」。ヘッドコーチとして、13年ぶりに日本の地を踏んだ。

 シーズン途中で水口監督が辞任。「自分もタイに帰るつもりだった」。残留を決断させたのは「監督をやってくれ」という水口氏の一言。昨季は14位に終わったが、「チームを強くしたい」一心で今季も続投した。

 キャンプなどでチームコンセプトをたたき込み、選手に考える力をつけた。前期に一時は12位まで沈んだが、「力はある。自信を持って」。そう説き続けた。

 ヴィタヤ流の「計算し尽くされた無駄のない練習」(中村ヘッドコーチ)で選手に自信を植え付ける。不調に陥った選手には言葉で勇気をあげる。「できるんだ」。なぜなら「質の高い練習を積んでるから」。

 「監督は24時間サッカーのことを考えている」と選手は口をそろえる。「サッカーをすごく知ってる。面白い」。中村ヘッドコーチも「ヴィタヤの下で勉強したい」と慕って鳥取に来た。チームは全幅の信頼で結ばれている。

 「ボールを抱いて寝る」ほど、ピュアにサッカーを愛する。タイやシンガポール、アメリカなど、指導してきた国では優勝を果たしてきた。だから、この鳥取でも成し遂げたい。

 「このチームには未来がある。Jへ上がる夢を一緒にかなえたい」
(おわり)
【プロフィル】1954年2月1日生まれ、54歳。タイ王国出身。7歳でサッカーを始める。ポジションはMF。ヤンマー、ドイツのヘルタ・ベルリン、ザールブリュッケンを経て、松下に入団。指導者としてガンバ大阪やタイ代表、シンガポールやアメリカでも指揮を執った。タイ語、日本語、英語、ドイツ語、フランス語の5カ国語を話す。8男6女の14人きょうだいの7番目。妻と子ども2人。趣味はタイで出版するサッカーの指導書の執筆。すでに6冊を出版した。

自分がシュートを打つ MF鈴木健児(背番号25)
2008年10月22日
昨年のJ1サテライトでキャプテンマークをつけ、引っ張る気持ちが芽生えたMF鈴木。「毎日が勝負」と飛躍を誓う

 危機感を感じた4年目のシーズン。「試合に出たい」と、J1からJFLの鳥取へ。「自分のいいプレーをもっともっと出したい」と躍動する。

 高校2年で関係者の目に留まり、卒業していきなりのJ1東京入り。全国大会でも目立った成績はなく「正直びっくり」。しかも高卒は自分1人。年代別代表選手がそろう強豪チームで「プレーや判断のスピードに戸惑った」。

 翌年、チャンスを求めてシンガポールへ。28試合に出場した。武者修行で「精神的に鍛えられた。自分に自信が持てた」。東京に戻ってきて出場機会はなくても、充実した毎日を送っていた。

 が、4年目の今年はさすがに「サッカー人生においての危機感」が強まった。来年は同期の大学組が卒業を迎える。まだ日本で公式戦出場なしの自分。レンタル移籍に「逃げじゃないか」とも悩んだが、どうしても「試合に出て結果を出したい」。そんな決意で鳥取に来た。

 後期第10節が日本初の公式戦。「絶対勝つ!」。ルーズボールを拾いまくり、終盤にはスタミナ切れしたが「90分できて、勝利で飾れてよかった」。そんな鈴木を、ヴィタヤ監督は「瞬間のポジション取りがうまい」と絶賛する。

 ずっと模索し続けた自分の武器。「球際では負けない」。今は胸を張って言える。

 攻撃的MFとしてさらにステップアップするには「ボールを持ったら周りを探しちゃう」悪い癖の改善が必要だと感じている。「自分がシュートを打つ」。殻を破ろうと、強い意識を持ってピッチに立つ。

 一回り、二回りと着実に成長を遂げてきた鈴木。この鳥取で、さらなる飛躍の鍵をつかむべく、残り6試合に全力で向かう。
 すずき・けんじ 1986年9月3日生まれ、22歳。秋田県出身。秋田・新屋高―FC東京(2005年)―アルビレックス新潟シンガポール(06年)―東京(07〜08年9月)。180センチ、70キロ。愛称はケンジ。中国04総体の初戦で米子北に敗退。何時間も熱中してしまうゲーム好き。「30歳を過ぎてもサッカー選手で頑張っていたい」

スピードサッカーを吸収 DFミゲル・アンジェル・マルティネス(背番号29)
2008年10月08日
スピードに慣れようと必死ながらも、「気持ちのこもったプレーを見てほしい」と言うDFミゲル

 18歳で単身、地球の裏側へ。「プレーも、そして考えることも速く」。パラグアイとは異なる日本のスピードサッカーに慣れようと、必死に練習を積む。

 7歳のとき、治安の良くない街で犯罪に手を染めないよう、家族に勧められてサッカーを始めた。「自分を表現できるから好き」といそしみ、夢を抱いた。

 母国の強豪、セロポルテーニョでプレーし、17歳から日系ベルマーレに入団。提携している湘南から来日のチャンスをもらい、鳥取に来た。

 「寒い中での練習にびっくり」。フィジカルトレーニングも多く、ついていくのがやっとだった。一番戸惑ったのは、守りながらの攻撃参加。パラグアイではDFは上がらない。体に染みついた部分を溶かし、新たな自分を吸収していく。

 高さを生かしたヘディングや左足のロングパスは定評がある。一方、「右足のプレーは速さについていけなくて全部が課題」。気候の違いから故障が多かったが、慣れた今は「まずはガイナーレで試合に出たい」と意気込む。

 慣れない日本語も、ブラジルでサッカー経験のある吉川コーチから学び、一人暮らしで料理もこなせるようになった。すべては、パラグアイにはないスピードを身に付けて「代表になる」夢のため。あこがれのロケ・サンタクルスのように。

 頑張れるのは「神様と家族が見ていてくれるから」。パラグアイで培った「強い気持ち」を胸に、銀髪の若武者はきょうもボールを追う。
 1989年7月19日生まれ、19歳。パラグアイ出身。セロポルテーニョ―日系ベルマーレ(2007年)。185センチ、72キロ。愛称はミゲル。好きな言葉は「グラシアス(ありがとう)」。休日はインターネットやサイクリングを楽しむ。

自分磨いて終点目指す FW田村祐基(背番号26)
2008年09月24日
「どんな状況でも点の取れる選手に。まだ自分は30点」とがむしゃらに走るFW田村

 「泥くさく点を取る」。がむしゃらに走るプレーが身上。今は何としても点を−。みなぎる闘志で、ひたすらゴールに向かう。

 2008年、中学時代から育ったサンフレッチェ広島から、J2に昇格したてのFC岐阜に完全移籍。だが、出場には恵まれなかった。8月、レンタル移籍の話が来た。「試合に出て実戦を積みたい。自分のため」。即決した。

 DF裏に抜けて勝負する感覚に優れる。ガイナーレでは攻撃のくさびも求められる。起点となり、そしてゴールという“終点”の2つの重責。入団直後の後期第8節からこれまで公式戦3試合に先発したが、まだノーゴールだ。時折雑なプレーが顔を出す。「もっと磨かないと。点を取って初めて認められる」

 サンフレッチェ広島のユース時代には、日本クラブユース優勝、Jユースカップ優勝など数々の実績を残した。そしてトップチーム昇格。ジュニアユースから育った中では初のプロ誕生となった。

 プロ入り初出場は後半途中出場。そのファーストプレーでいきなりゴールを決めた。だが「頑張ろうと思ってても、心に体がついて行かなかった」。調子を落とし、「メンタル面を鍛えてこい」とブラジルへ渡った。

 日本に戻り、広島、愛媛、広島、岐阜とチームを渡り歩いた。調子が良くても起用されない時期も。学んだことは「頭の転換」。すべきことは「自分磨き」。

 「なんだかんだ言っても好きだから」やめようと思ったことはない。折れそうになった時、自分に言い聞かせる。「おれはやれる」。そう、自分を信じて。
 たむら・ゆうき 1985年12月31日生まれ、22歳。広島県出身。サンフレッチェ広島ユース―サンフレッチェ広島(2004〜05年5月)―ブラジル・ESバイーア(05年5月〜同10月)―広島(05年11、12月)―愛媛FC(06年)―広島(07年)―FC岐阜(08年)。180センチ、70キロ。愛称はユウキ。趣味は海釣り。

ドリブルまるで黒ヒョウ MFコン・ハメド(背番号9)
2008年09月10日
「みんなと練習している時が一番幸せ」とMFハメド。日本での時間は毎日が勉強だ

 眼光鋭く野性的な闘争本能をあらわにする。ボールを自在に操るドリブルはスピード感にあふれる。まるで、サバンナを駆ける黒ヒョウのよう。

 リーグ開幕直前に入団した。アフリカ人特有のバネとスピード。強烈なミドルシュートを披露し、周りの度肝を抜いた。

 開幕戦で勝ち越しゴールを決めた。圧倒的な個人技で観客を魅了。しかし高い技術ゆえに、称賛と批判は紙一重だった。「ボールを持ち過ぎ」な一方で、「周りが頼り過ぎ」な面も。かみ合わない試合が続いた。

 だが、ハメドの存在は「いるだけで相手に嫌だという脅威を与える」(中村ヘッドコーチ)。厚い壁を打開できる唯一の選手。得意の1対1は「目をつぶってでもできる」と自信満々だ。

 課題は「ハードワーク」。足元でボールをもらいたがり、スペースに走る動きがまだ未熟だ。最近は後半からの起用が増えたが、疲れた相手をかき回す。「個人プレーし過ぎないよう、みんなと合わせないと」と笑う。

 7歳からボールに触れた。自国のチームは「あまりまじめでなく」、プロになりたい一心で国を飛び出した。タイ、シンガポール、そして日本。どこでも「練習している時間が一番幸せ。勉強になる」。

 まだ伸びしろの多い20歳。「戦術的理解ができればJレベルよりもっと上でできる」と中村ヘッドコーチ。ハメドの夢は「もっと有名になって、いつかコートジボワールの代表になりたい」。

 ピッチを降りれば、白い歯を見せて笑うキュートな笑顔の持ち主。子どもたちにも大人気だ。そんなハメドの心には。

 「試合ごとにうまくなりたい。勝ってみんなを幸せにしたい」
 1987年11月2日生まれ、20歳。コートジボワール出身。コートジボワール・アカデミーJMG(2004年)―タイ・チョンブリFC(05、06年)―シンガポール・ホームユナイテッドFC(07年)。168センチ、71キロ。愛称はアメ。U―23コートジボワール五輪代表。一番最初に覚えた日本語は「ありがとう」。

ボール奪う技はピカイチ MFアドゥール・ラッソ(背番号4)
2008年09月03日
試合もスタメン争いも「勝つことはそんな簡単じゃない」とMFアドゥール。だからこそ自分にとって「いいチャレンジ」だ

 「プロサッカー選手になる」。母国を離れ、遠い異国の地で夢を追い、ボールを追う。「激しいサッカーを見てほしい」。先発奪取に向け、本来のプレーを取り戻そうとグラウンドを駆ける。

 「守備的MFがほしい」。ヴィタヤ監督が熱望し、タイで指導したアドゥールを呼び寄せた。今の日本で、サッカーで活躍するタイ人は監督以外にいない。そこでプレーできることに、アドゥールは不安よりも「うれしかった」。

 日本は「練習がみっちり」。スピードが速く、当たりも強い。競争が激しい中で「いいチャレンジ」としのぎを削り、開幕スタメンを勝ち取った。

 落ち着きがあり、相手の攻撃の芽を摘む。出場停止を除く後期第2節までの18試合、ピッチに立ち続けた。が、プレーに精彩を欠き始め、徐々に外れた。

 初めての海外、独り暮らし。原因はホームシック。練習中は忘れられるが、家に戻ると寂しさに駆られる。そんな自分に、ヴィタヤ監督はタイ料理を振る舞ってくれた。友人や家族にも連絡を取り、奮い立たせる。「もう、サッカーのことだけを考えよう」

 父親がサッカー選手で、幼いころから始めた。たくさんボールに触れ、試合を組み立てるMFが大好き。タイで一番の強豪チームで4年間鍛えられ、ボールを奪い返す技はピカイチだ。中村ヘッドコーチは「攻めに転じるスピードも魅力」と認める。

 「早くレギュラーに戻って活躍したい」。そのためには「視野の広さが必要」と感じている。

 好きな言葉は(タイ語で)「勝つためには汗をかかなきゃいけない」。21歳、異国の若武者。つぶらな瞳の奥には、静かな闘志が宿っている。
 1986年9月19日生まれ、21歳。タイ王国出身。タイ・チョンブリFC(2004〜07年)。167センチ、65キロ。愛称はアドゥール。チョンブリは08年3月のアジアチャンピオンズリーグでガンバ大阪と引き分けた強豪。昨年U―23タイ五輪代表。日本のカレーライスが好き。趣味はギターと歌。

人に言うよりまずは自分 DF加藤 秀典(背番号3)
2008年08月27日
「自分のすべきことをし続けることが大事」とDF加藤。強い責任感がサッカーをする支えでもある

 「口だけにはなりたくない。人に言うより、まずは自分がしっかりプレーすること」。これが加藤の基盤。結果にこだわり、常に自分を奮い立たせている。

 7月24日、サガン鳥栖からレンタル移籍した。その2日後、後期第5節の北九州戦に先発。「助っ人で来たのだから結果を出さないと」。その言葉通り、後期に入って初めての白星を挙げた。しかも、きっちり無失点という花を添えて。

 以降チームは4連勝。だが「(第6節の)ファジアーノ岡山に勝った後、練習に緩みが出た」。その結果が第7節での1失点。大量8得点の陰に隠れていても、加藤はその失点に腹が立った。やはり「練習はうそつかない」。チームも自分も、勝利の味に慣れてはいけない−と強く思う。

 ヴィタヤ監督が「1対1やヘディングが強い」と認めても、本人は「自分に武器はない。すべてが課題」。加藤に“満足”という言葉はない。

 サガン鳥栖では、入団1年目の開幕戦からグラウンドに立った。4年目にはけがにも泣かされ、「ピッチで表現できることがどれだけ幸せか」身に染みた。

 そんな5年目の7月、舞い込んだ鳥取への移籍話。J2で昇格争いのまっただ中。でも「鳥栖で誰か、ではなく自分を欲しいと言われた。選手冥利(みょうり)に尽きる」。新天地への挑戦。移籍は絶対マイナスじゃない、と決めた。

 練習から危機感を持ち、一つのプレーに後悔もする。「一日のうちたった2時間の練習。こだわらないでどうする」。人一倍強い責任感が自分を駆り立てる。

 闘志を体で示す加藤。あと3カ月。「負けない、ではなくて勝つ。体を張って守り抜く」
 かとう・ひでのり 1981年5月13日生まれ、27歳。三重県出身。三重・四日市中央工高―福岡大―サガン鳥栖(2004〜08年7月)。179センチ、74キロ。愛称はヒデ。J2では86試合出場。すべてのポジションをこなし、大学からDF。試合後、ビールを口にする瞬間が至福のひととき。

「感謝」を胸にボール追う DF尾崎瑛一郎(背番号31)
2008年08月20日
「やっぱりサッカーは楽しくないと成長しない」とDF尾崎。ガムシャラな自分を思い出し、自信にかえていく

 「自信は勝手につくものじゃない。自分で積み重ねるもの」。一度失った自信を取り戻そうと、「感謝」を胸にボールを追う。

 高校卒業後、当時の反町監督の目に留まってアルビレックス新潟に入団。すぐにJのピッチに立った。が、「チヤホヤされて慢心が出た」。浮ついた心は最終戦直前のけがに直結。首脳陣は「1年間磨いてこい」。翌シーズン、シンガポールリーグに参戦する傘下のチームへと渡った。

 けがの恐怖もあり、思い切りできない。パフォーマンスも上がらず、もんもんと時を過ごした。反町監督にも認められた「強心臓」は見る影もなく、完全に輝きを失っていった。

 日本に戻り、そして鳥取に来て、目にした光景は不安に拍車をかけた。「スピードが違いすぎる」。シンガポールのパワーサッカーに慣れてしまった自分。「早くに帰ってくればよかった」。4年のブランクは重くのしかかった。

 開幕スタメン。ホーム開幕戦では、持ち味の美しい弾道を描いたFKとCKで、直接ゴールネットを揺らした。けれど、その勢いも不安をかき消すには至らなかった。守備の弱さを挙げられ、先発に名を連ねることは減っていった。

 7月下旬、盲腸で入院。サッカーから離れ、自分に問うた。北京五輪からも刺激を受けた。決めた。24時間、サッカーに費やしてガムシャラにやろう−。

 高校時代は県外の全寮制。父親の死に目にも会えずにサッカーを続けた。「人間として評価される人になりなさい」。感謝の気持ちを説き続けてくれた高校の恩師。これが自分の基盤。今でも自分にとって恩師は「神様」だ。

 「自分のためより人のための方が頑張れる」。それはファンであり、家族であり、仲間であり。多くの支えを胸に、尾崎は再び輝き始める。
 おざき・えいいちろう 1984年12月7日生まれ、23歳。静岡県出身。三重・日生第二高―アルビレックス新潟(2003年)―アルビレックス新潟シンガポール(04〜07年)。172センチ、68キロ。愛称はオザ。1人の時間は、滝など静かな自然の中でゆったり過ごすのが好き。

一日一日新たな挑戦 DF小村徳男(背番号30)
2008年08月13日
「自分を一番表現できる」サッカーに没頭できることを幸せに思うDF小村。常に新しい自分を追い求めて日々を送る

 日本代表として世界を経験し、一方で3度の戦力外通告を受けてきた。一盛一衰を体に刻み込み、今思うこと。「やっぱりサッカーは楽しい」

 大学卒業後、飛び込んだ横浜マリノスは勝って当然の常勝集団。「普通の努力じゃ足りない」。プロで生き残るすべを必死に模索しながら、25歳で初の代表入りを果たした。W杯出場など、世界を目の当たりにして痛感。身体能力、技術、理解度…。「すべてにおいて上には上がいる」。得たものは挙げきれないほどあった。

 自分の新しいサッカーを見つけたい−。10年間所属したマリノスを飛び出した。トライアウトを受けるなどしてJリーグ3チームを渡り歩き、そしてJFLへ。「まだやりきっていない」。この思いが自分を突き動かす。38歳。体力やスピードは衰えても、頭と体に詰め込んだ経験値で埋めていく。

 今季の開幕戦で負傷し、戦線を2カ月以上離脱。チームも負けが込み、大事な時に力になれない自分に腹が立った。復帰後は連勝したが、チームとしての意思統一が足りないと感じた。

 Jで降格、そして昇格を経験。「全員が『絶対昇格する!』という強い気持ちを持たなければ無理。1人でも違えばプレーに出てくる」。今も負傷で別メニューの日々だが、満身創痍(そうい)でも体当たりで伝えたい。

 これまでの16年間を一文字で表せば、挑むの「挑」。田舎から無謀にも飛び出し、プロ、日本代表と常に上を目指してきた。そして、今も。

 「あと何年じゃなくて、一日一日が迫ってくる。悔いのないように歩みたい」。プロ17年目に選んだ鳥取の地。大好きなサッカーに没頭できる幸せを感じながら、新たな挑戦を続けている。
 おむら・のりお 1969年9月6日生まれ、38歳。島根県出身。松江南高―順大―横浜マリノス(92〜2001年)―ベガルタ仙台(02〜03年)―サンフレッチェ広島(04〜06年8月)―横浜FC(06年8月〜07年)。181センチ、79キロ。愛称はオムさん。98年フランスW杯に出場。日本代表として国際Aマッチ30試合に出場し、4ゴールを挙げる。趣味はゴルフ。

経験積んで「殻破る」 DF水本勝成(背番号32)
2008年08月06日
「しんどい時に一声でチームを変えられる、そんなオム(小村)さんのような選手になりたい」と背中を追いかけるDF水本

 「相手のエース、そして失点0に抑えてチームも勝った。自信になった」。18歳のフレッシュな笑顔。前節、ルーキー水本が強力FWを見事に封じた。

 後期第3節、負傷した小村に代わって途中出場。初めての観客の前でのプレーに「緊張」と「やる気」が入り交じった。

 終了間際に失点。続く第4節も先発したが1点を失った。「無失点に抑えてこそ。前線にも『頑張ろう』と思わせたい」。1点の重みを感じた。

 第6節、3位の岡山戦を前に、監督から12点を挙げているエース封じを命じられた。スピード、そして1対1の強さを買われてのマンマーク。「重圧は感じたけど、加藤さんやノブ(小原)さんに引っ張られてDFが一つになれた」

 前半こそ危ないシュートを打たれたが、後半は0本。指揮官にも手放しでほめられ「うれしい」。その一方で「立ち上がりから判断をしっかりしないと」と反省を忘れない。

 中学3年で全国制覇し、U−16日本代表入りを経験。「引っ込み思案」の水本に、選手としての自覚が芽生えた。そして「地元では甘えてしまう」と、知らない土地の鳥取へ。

 今は働きながらの毎日。「大変だけど、社会勉強にもなるし、自分にとってプラス」。人とのつながりの大切さを学びながらプロへの歩を進める。

 水本が「言われたことをすれば絶対うまくなる」と慕うヴィタヤ監督は「足りないのはゲーム判断力。でも経験を積めばいい」。水本は「『若いから』と引っ込んでしまわないように殻を破りたい」と力強い。

 社会人1年目。まだ何色にも染まっていない真っ白なキャンバスに、“自信”と“経験”の絵筆を走らせていく。
 みずもと・かつなり 1990年2月19日生まれ、18歳。熊本県出身。熊本・ルーテル学院高。179センチ、70キロ。愛称はミズ。ルーテル学院中で全国優勝。洋楽のR&Bが好き。最近のお気に入りはマライア・キャリー。

自分だけの武器磨く MF山本拓弥(背番号28)
2008年07月23日

「試合に出てる選手より個人練習の時間が多くある」とMF山本。試合いに出るため、今は練習にすべてを注ぐ


 「試合に出たい」と強く思い、この鳥取に来た。が、思うようにまだ出場できていない。「悔しい。でも、この気持ちがなかったら終わり」。足らないからこの現状、と日々の練習で“全力アピール”する。

 鹿島アントラーズのジュニアユース、ユース、そしてトップチームへ。小学校から一筋に鹿島で育ち、トップに昇格した第一号だ。U|16日本代表などにも選ばれた。

 鹿島での2年間、公式戦出場はゼロ。出場機会を熱望してザスパ草津にレンタル移籍したものの、求められたのは初めてのDFだった。またも出場はできなかったが、それでも「腐らずやれた」。この3年間があったから今がある、と言えるよう奮起する。

 今季、出場は途中交代での2度だけ。「結果が出せなかった」。第12節以降はベンチ入りも果たせていない。自分に足りないものは「判断のスピード、プレーの正確さなどサッカー技術全部」。

 だが、武器はある。首脳陣も認めるミドルレンジのシュートは「無回転で強い」(中村ヘッドコーチ)。同じボランチにはゲームメーク力の吉野、守備のアドゥール。その中で光る自分の色を出そうと走る。

 試合に出られず「真のプロになれていない」。だから今の自分にとって、まずは練習がすべてだ。「継続は力なり」。飛躍の1年となるか。タクヤの暑い夏が幕を開ける。
 やまもと・たくや 1986年6月22日生まれ、22歳。茨城県出身。鹿島アントラーズユース―鹿島アントラーズ(2005〜06年)―ザスパ草津(07年)。170センチ、67キロ。愛称はタクヤ。サッカーソックスはくるくる丸めるのがこだわり。

課題克服で巻き返し FW釜田佳吾(背番号27)
2008年07月09日
「でっかいゴールなのになかなか入らない。チームワークで崩して点を入れる瞬間が好き」と、サッカーを愛してやまないFW釜田

 小学生から、根っからのFW。「1対1ってウキウキする」。前を向き、ドリブルでガンガン仕掛けてシュート−が持ち味だ。

 1年目の昨季は27試合に出場して7ゴール。「まだ少ない」。コンディションが一定に保てなかった。

 今季初め、焦りから故障。調子の波の激しさに「まずは自分の長所を伸ばそう」。トレーニングマッチで点を取り、調子を上げた。

 開幕戦に先発出場し、体を張ったプレーで同点に追い付くPKを奪った。第2節でも先制弾をたたき出した。幸先のいいスタートを切ったはずだった。

 第8節からは先発から外れ、ベンチを外れることも。「調子に乗った時はいい。けど、ミスが重なるとどんどん落ちてしまう」。ガラスのハートとさえ言われた。課題はまだ克服されていなかった。

 そんな時、支えてくれるのが妻の七菜子さん。「1人でやってるんじゃない。応援してるのも家族だけじゃない。それを考えてプレーして」と背中を押される。妻には、頭が上がらない。

 指揮官は言う。「佳吾はサブじゃ結果は出せない。先発でこそ生きる。練習から意識しろ」(ヴィタヤ監督)。後期第2節で実に12試合ぶりの先発。ゴールは奪えなかったが久々のピッチで躍動した。

 唯一の地元選手。米子から練習に2時間かけて通う毎日だが「『鳥取の選手だってできるんだ』って見てもらいたい」。人一倍、強い使命感がある。

 「自分が点に絡むプレーをすればJに近づく」。言ったことは成し遂げる、尊敬する父のように。今、ケイゴの巻き返しが始まる。
 かまだ・けいご 1984年4月6日生まれ、24歳。鳥取県出身。鳥取・境高―阪南大。172センチ、64キロ。愛称はケイゴ。PSPに熱中する“ゲーマー”。通いの車内で聴く音楽の曲集めが趣味。9月にはパパになる予定。

先発奪取へ復帰励む GK修行智仁(背番号21)
2008年07月02日
「練習の意図をかみ砕いて理解できる力がある」とコーチも一目置くGK修行。故障中の今も「自分の体を変えられるいいチャンス」と前向きだ

 「普通の努力だと普通の選手で終わる。人が考えないようなことをしないと」。高校時代にコーチに言われた言葉。今も、深く胸に刻まれている。

 1年目の昨季は、井上に全試合で正GKの座を明け渡した。「ふてくされたら終わり」。気持ちが途切れないよう言い聞かせた。

 今季の目標は「まず開幕戦に立つこと」。すると井上が故障で出遅れた。開幕戦には修行が立った。だが「ちゃんと勝負して出たかった」。

 3試合に先発。結果は2勝1敗。しかし、すべての試合で1失点した。「うまく守れば防げた」。悔しい思いしか残っていない。第4節からは井上が復帰。ベンチに下がった。「自分はまだそれくらい。信頼を得られていない」

 ポジションを取り返そうと奮起を誓った修行を悪夢が襲った。練習中にクロスボールをはじいた時、手首に走った痛み。しばらくしても治らず、再検査すると骨折していた。

 「こんな大事な時に、何折れてんの!」。自分の腕に腹が立った。5月末に手術。大阪の実家で気持ちに整理をつけ、今は復帰に向けてトレーニングに励む。

 初めての大けがで長期離脱。グラブもはめられない、ボールも触れない毎日。だが、外からあらためてGK練習を見て「もっと厳しさが必要」と感じる。ただ復帰するだけでなく、変わって戻りたい−。

 キャッチした後のキックの精度が「ずば抜けている」(三好GKコーチ)。シュートを受けるGKも、キックだけは「自分の意思で攻撃につなげられる」と修行。常に前を向き腐らない修行の姿に、三好コーチも目を細める。

 復帰した時、一番最初にしたいこと、それは。「早くでかい声を出したい!」
 しゅうぎょう・ともひと 1984年6月29日生まれ、24歳。大阪府出身。大阪・近大付高―立命大。183センチ、77キロ。愛称はシュウ。インターハイでは境高・釜田のPKを止め、総理大臣杯では樋口率いる福岡大を下して優勝。天皇杯では鳥栖時代の小井手にFKを決められるなどの縁がある。最近、料理にはまっている。

今が一番の鍛えどき DF樋口大輝(背番号25)
2008年06月25日
「まずは自分に勝つ。折れたりするのはプロじゃない」とモチベーションを保つDF樋口

 「ここまで出られないのは初めて。でも、今が一番の鍛えどき」。ガイナーレ2年目の樋口は、苦しみながらも自分の成長を信じてやまない。

 大学卒業後、1年目の昨季は左サイドバックで30試合に出場。「出てたけど、うまくできなかった」。ヴィタヤ監督に口を酸っぱくして言われた。「縦パスやクロスをうまく入れろ。慌てるな」。常に質のいい判断力を求められた。

 今季はメンバーの半分が入れ替わり、競争が激化。開幕前のキャンプではサイドハーフで試され、得点も挙げて目に見える結果は残した。監督の口からも名前は多く挙がった。が、本人は「中身に納得がいかなかった」。昨年から言われていることが、まだ完成されていないと感じていた。

 開幕2試合に出たが、いずれも途中出場。第4節からは肉離れも重なり、ベンチから外れた。なぜ起用されないのか、痛いほど分かっている。

 「開き直ってアピールポイントを出そう」。気持ちをリセット。首脳陣も認める裏への飛び出しや攻守の切り替えの速さ。離れていた間にチームに必要なもの、そして自分の生かし方を見つけた。

 練習には一番乗り。開始の1時間前からじっくりとコンディションを整える。「精度を上げれば出られる」と、毎日クロスの特訓に励む。

 攻防の速さにのめり込み、サッカー人生を選んだ樋口。目の前にはJ。「まずは自分に勝つ」。大学時代の監督の言葉である“年中夢求”で走り続ける。
 ひぐち・だいき 1984年4月8日生まれ、24歳。熊本県出身。熊本・鹿本高―福岡大。176センチ、72キロ。愛称はダイキ。高校、大学と九州選抜。大学の総理大臣杯ではGK修行が率いる立命大に敗れて準優勝。最近元気をもらった曲はSuperflyの「愛をこめて花束を」。

結果にこだわり練習 MF原島喬(背番号24)
2008年06月18日
「ピッチに出ない時は常に悔しい」。出られない理由を考え、自分を高める努力を惜しまないMF原島

 「結果にこだわって頑張っていきたい」。原島の新入団会見での決意。それは今でも変わらない。

 第9節、左サイドハーフで初先発。第11節では角度のないところからシュートを放ち、初得点を挙げた。自他ともに認める「左足のキック」。パスにシュートにと異彩を放つ。

 しかし、ハメドの出場停止が解けるとベンチに逆戻り。「まだ信頼を得ていない」。サイドは初挑戦で戸惑いもあった。スペースをつくる動きなど「ハードワークが足りない」と中村ヘッドコーチは言う。

 原因は、開幕前の故障中の調整不足。だが原島は、練習のすべてにある首脳陣の“意図”を理解しようと必死。これまでは「センスでやってきた」が、今は「考えながら気付きの毎日」を送っている。

 「最後のつもり」で臨んだ昨年、横河での4年目。「点を取る」と意を決し、チームのMVPと得点王に輝いた。引退を撤回し、Jリーグ入りの夢を追ってこの地に来て、なくしたものに気が付いた。

 仕事しながら夜間に練習していた横河時代にはあった「ハングリーさを忘れてしまっている」。本来の強い自分を取り戻そうと、練習に明け暮れる。

 練習後も「したくなっちゃう」と、最後まで自主練習する根っからの「サッカー小僧」。妻の由美さんとは10年越しの愛を実らせてこのたびゴールイン。一途な一面を持つ。

 「Jに行きたいな〜」。普段のおっとりした笑顔を見せたが、すぐに「少ない出場時間でも結果を」と表情を引き締めた。横河の4年目以上に強く思う。「もっと点に絡みたい」と。
 はらしま・たかし 1981年8月19日生まれ、26歳。東京都出身。浦和レッドダイヤモンズユース―国士舘大―横河武蔵野FC(2004〜07年)。178センチ、69キロ。愛称はハラシ。昨季は横河のボランチとして33試合に出場し、12得点。趣味は釣り。「ピッチに出ない時は常に悔しい」。出られない理由を考え、自分を高める努力を惜しまないMF原島

まだ20歳、日々向上 GK太田弦貴(背番号23)
2008年06月11日
「守りの選択肢の多さを、まだ自分のものにできていない」。アマチュアとの違いを痛感しながら成長を遂げるGK太田

 まだ20歳。不動のGKの陰でベンチを温める日が続くが、「アグレッシブさは失いたくない」。今一番の目標である「試合に出る」ため、モチベーションは高く持っている。

 183センチの長身。反応の速さやセービングに対する身のこなしなど、身体能力も申し分ない。

 高校3年のインターハイで準優勝に輝いた。高円宮杯の準々決勝では前年度優勝の東京ヴェルディユースと対戦。もつれ込んだPK戦で3本連続セーブ。今でもその感触が手に残る。

 活躍が認められ、サガン鳥栖に入団。「ある程度できるだろう」。しかし、一つのプレーに対する気持ちやポジション取りの正確さなどで違いを痛感。甘い考えはすぐに打ち砕かれた。

 1年目を終え、レンタル移籍の話がきた。「いろんな指導法がある。経験を積むのにも、環境を変えてみるのもいいかもしれない」

 鳥取に来て半年。2人の先輩GKから練習に対する姿勢を一番に見習う。三好GKコーチは「人の意見を受け止めることができる」と頑張りに目を細めるが、「若さゆえの雑さがまだ出る」。DFとの連携、局面での状況判断など足りないことは多く、その分伸びしろを期待している。

 至近距離のシュートへの対応に自信を持つ。だが「止めるより、状況を読んで声を届けるコーチングで防ぐ、目に見えない部分の方が大事」だと分かっている。

 守るだけでなく「ゴールキックはカウンターの起点。決まった時はしてやったり」と、攻めの気持ちも忘れない。

 「今を頑張らないと」。先を見るより、太田の視線は今、この瞬間。好きな言葉のごとく、ゲンキは「日々向上」していく。
 おおた・げんき 1988年4月10日生まれ、20歳。大阪府出身。和歌山・初芝橋本高―サガン鳥栖(2007年)。183センチ、74キロ。愛称はゲンキ。小学4年からGK。中学時代はクラブユースで全国大会を経験した。

強い気持ちで点取る DF増本浩平(背番号22)
2008年06月04日
「先発組にはあぐらをかいてほしくない」と、観客や監督目線で見る試合の改善点を還元し、チームの底上げを図るDF増本

 「下手くそだから気持ちだけは強くないといけない」。増本は毅然(きぜん)と言う。中村ヘッドコーチも「ベンチに必ず入れたいメンタルを持っている」と言うほど、チームの力になるハートがある。

 湘南ベルマーレのジュニアユース時代からいろいろなポジションをこなした。「器用貧乏。特別なものがない」。けれど経験ないのはGKのみ。「それが自分にとってのスペシャル」

 今季の登録はDFだが、最近はFWで日々の練習をこなす。第10節のファジアーノ岡山戦ではFWで途中出場。「点を取ることは誰にも負けない」。最後まで相手にプレッシャーをかけ、増本のゴールとも言える同点のオウンゴールを誘った。

 開幕してから、まだ先発には名を連ねていない。「やっぱり悔しい。でも、出られない時こそできることがある」。試合を外から見て、チームに足りない部分を練習で実践する。「これが出ていない選手の仕事」。底上げとともに、自分も「練習、反省、改善、反省…」と繰り返してレベルアップ。「出た時に爆発できる」よう蓄えている。

 2005年にSC鳥取に入団。1年目はJFL5位の14ゴールを挙げた。昨季は29試合に出場したが、チームは14位。プレッシャーからか、チーム内に「負けちゃいけない」「負けたくない」と“負”の文字が先に立った。

 が、今季の新チームは負けが込んでいても「勝つ」ことを考える、そんなムードがある。その中で増本は「周りに負けていると思っていない。求められることを見極めてやるだけ」と意は強い。

 折れない選手に−。それがマスの信念であり、この世界で生きる道だ。
ますもと・こうへい 1982年7月11日生まれ、25歳。神奈川県出身。湘南ベルマーレユース―東農大。178センチ、70キロ。愛称はマス。全日本ユースとクラブユースで準優勝。SC入団から昨季まで84試合に出場し、24得点。趣味は読書で「読み始めると寝るのも惜しいくらい」夢中になる。

“いると違う”存在に DF冨山達行(背番号20)
2008年05月28日
「サッカーの面白さを感じることが大切。一番は自分がやれることをやる。そうすればおのずと結果がついてくる」とDF冨山

 「職業であり趣味であり、好きなものであり…」とサッカーへの言葉は尽きない。「一生付き合っていくもの」。だからこそ「楽しむ!」。フィールドは、冨山にとって最高の“楽園”だ。

 右太ももの肉離れで出遅れた。第7節で復帰。負傷したDF戸田に代わって途中出場し、それ以降は先発、右サイドバックの定位置に座る。

 スピード、突破力があり、ボランチやサイドハーフなど「守備的ならどこでもできる」(中村ヘッドコーチ)。チャンスを1本でも多く。「目立つタイプではないけど『いると違う』と感じてくれるような、黒子的存在でいい」と走る。

 そんな冨山にも一つ心配事があった。「自分が出た試合は勝っていない」。そのジンクスも第12節に見事打破。続けて13節は待望の無失点を果たし、連勝と波に乗った。

 大学時代、デンソーカップに関東選抜Bで出場したことでプロの道が開けた。湘南ベルマーレで、思うようにできた1年目と考えすぎた2年目。「勝負」と決意した3年目はボランチに挑戦したが、ほとんど出られなかった。しかし、この3年間が今の糧。「3歩進んで2歩下がって。それでも1歩ずつ進んでいる」

 2005年、プロ1年目のJ2開幕戦。先発でピッチに立った。「ここからがスタート」。あれから3年。「自分たちの手でJに上げてまた戦いたい」と今、ここにいる。

 目標に一心不乱に向かう。が、ひょうひょうとこなすからか「どこ行ってもMAXじゃないと言われる」と笑う。「今のままじゃだめなんだ。そこが僕のプラスアルファ」。さらなる“幅”を求めるトミに、限界の2文字はない。
 とみやま・たつゆき 1982年8月27日生まれ、25歳。千葉県出身。千葉・中央学院高―流通経大―湘南ベルマーレ(2005〜07年)。172センチ、67キロ。愛称はトミ。J2では3年間で45試合出場。好きな言葉は楽しむの「楽」。一番欲しいものは「勝利」。

今が一番成長できる時 DF田村和也(背番号19)
2008年05月21日
サッカーに対する意識、体や気持ちをつくる難しさを痛感した3年目を糧に飛躍を期すDF田村

 鳥取で4年目。半分以上の選手が新加入の現チームで「融合する立場でいたい」。新旧解け合う中で、競争意識も高まった。「吸収しながらレベルを上げていきたい」。今、少しずつチャンスをつかんでいる。

 開幕して10試合、第7節以外はベンチ入り。途中交代で2試合に出場した。でも「ここまで出られないのはこれまでなかった」。

 チームは連敗や引き分けで白星がなく、かつ自分も試合に出ていない。いら立ちは募るばかり。しかし、今年の田村は違う。「今が一番成長できる時」。どうしたら出られるか、考え、行動する。

 第11節では左サイドバックで初先発を果たした。身体能力の高さ、ヘディングの強さ、スピードを買われた。圧勝した第12節もフル出場。「まずはゴール」を目指すチームにとって田村のロングシュートは武器となり、2試合で4本のシュートを放った。

 けれど、DFとしてやらなければならないことが残っている。今季、まだ達成できていない無失点試合。「90分集中して、自分でチームを引っ張る選手になりたい」と意を決する。

 そんな田村の胸にはある一戦が刻まれている。2006年後期のソニー仙台戦。自分の上げた左クロスに、途中出場のFW平田順也が頭で合わせて勝ち越しゴールを決めた。「平田さんは出場機会が少なくても、練習では常に全力だった」。ワンチャンスをものにする。その平田の姿に今の自分を重ねている。

 すべては自分次第。「100パーセントでやっているところを見てほしい」。あふれ出る、熱い思いをピッチにぶつける。
 たむら・かずや 1982年10月8日生まれ、25歳。大阪府出身。広島皆実高―同大。177センチ、70キロ。愛称はタム。高校2年でインターハイ優勝。昨季までJFL通算93試合出場、9得点。ディフェンシブポジションをすべてこなすオールラウンダー。テレビ制作に興味を持ち、ドラマ好きのテレビっ子。

チームを変える起爆剤に FW大多和卓(背番号18)
2008年05月14日
「何が何でも点を」と意気込むFW大多和。ゴールへの執着心でスランプ脱却を図る

 今季開幕戦のソニー仙台戦。先発出場したが、前半34分に交代した。「調子は悪くなかった。悔しい」。この交代がすべての始まり−。そう言えるほど、大多和は長く暗いトンネルに入ってしまった。

 開幕戦後、先発は一度だけ。第8節から3試合はベンチからも外れた。「落ち着き、ボールコントロール、アイデアがある」(ヴィタヤ監督)のに、最後で点が取れない。「ふがいない」。今までにないほどの危機感に駆られた。

 けれど、迷うよりも「きょうの練習、あすの練習を全力でするしかない」。光を求め、抜け出そうと奮起。12日の第11節でベンチ入りし、途中出場にこぎ着けた。チームは5試合連続で白星なし。チームを変えるのは自分。起爆剤となるべく、必死に走る。

 2004年、SC鳥取に入団。翌年からは横河武蔵野FCで過ごし、3年間戦った後にガイナーレから声が掛かった。昨季は横河が7位、ガイナーレは14位。正直迷った。が、「元々の夢はJリーグ。挑戦せずにサッカー人生を終わりたくない」と決断した。

 鳥取入りを機に結婚。奥さんを東京から連れてきただけに、責任感がさらに増した。

 「苦しくない時はない。違うのは点を取った瞬間だけ」。だが「サッカーはうまくいかないから面白い」と笑う。

 プロはピッチでの評価がすべて。しかし、1人でできるスポーツではないからこそ「仲間ありきの自分」だ。仲間、友人、家族。みんなに支えられ、ここまで来た。

 あとは、自分の足で応えるのみだ。
 おおたわ・たくみ 1981年5月11日生まれ、27歳。静岡県出身。静岡・清水商高―東農大―SC鳥取(2004年)―横河武蔵野FC(05〜07年)。170センチ、66キロ。愛称はタクミ。昨季までJFL通算95試合出場、22得点。気分転換は服などの買い物。

けが耐え皆の待つピッチへ MF鶴見聡貴(背番号17)
2008年04月30日
「苦しいと言いだしたらきりがない。逆にパワーアップできる」と、けがに立ち向かうMF鶴見(手前・17)

 2007年4月15日。加入してすぐの試合で勝ち越しゴール。鮮烈なデビューは、今でも観衆の目に焼き付いている。

 「プロに上がる近道」と、中学から湘南ベルマーレで育った。ユースからトップチームへの昇格は、わずか2人。生え抜き中の生え抜きだ。

 しかし、プロでは厚い壁が待っていた。2年間で出場は5試合。「試合に出ないと成長しない」。劇的な変化を求める自分とかみ合うように、ガイナーレからレンタル移籍の話が舞い込んだ。即座に決めた。

 起爆剤となり、待望のシーズン初勝利を手繰り寄せた。連続27試合出場。瞬く間に7ゴールを挙げた。

 湘南ではすべて途中出場。「ボールがきて仕事すればいい」と攻撃参加だけだった自分が、フル出場して初めて感じ取った。「人のため、点を取るために動く意識」を。

 J昇格のためレンタル期間を延長。しかし、強い決意とは裏腹に右ひざのけがが邪魔をする。キャンプも早々に離脱。2月中旬、手術に踏み切ったが痛みは消えず、調整は長引いた。

 「焦っても仕方ない」。じっと耐えた鶴見。完全復活とはいかないが、今ようやく実戦に合流し始めた。

 鋭いドリブルが魅力。だが本人は「それは以前の話。日本が世界と戦うにはフリーランを高めないと」。

 夢は海外への挑戦。その前に、果たさなければならない使命がある。「リーグ優勝」の先にある二文字。

 指揮官はもちろん、皆が待っている。トシがピッチに帰ってくる日を−。
 つるみ・としたか 1986年12月22日生まれ、21歳。神奈川県出身。湘南ベルマーレユース−湘南ベルマーレ(2005〜07年4月)。170センチ、62キロ。愛称はトシ。06年6月22日の横浜FC戦でJ2デビュー。尊敬する人は加藤望(湘南ベルマーレ)。好きな言葉はスマイル。

プレースタイル変え強さ DF小原一展(背番号16)
2008年04月23日
思うようにサッカーができるありがたみをひしひしと感じている。だからこそ、DF小原は「頑張るだけではダメ。勝たなきゃいけない」

 「今、自分が変われている」。一度一線を退いた身だが、成長を続ける自分を古巣に戻って実感している。「個人で負け始めたら引退。まだまだ伸びる」。新たな序章の幕開けだ。

 14年間、根っからのセンターバック。カバーリングがうまく頭脳的。が、それは昔の自分。今は厳しい練習の中で「競り合い、1対1、けっこうバチバチ当たっている」。プレースタイルの変化で強さが増した。

 開幕して7戦。0点に抑えた試合がない。「攻めている時ほど声をかける。リスクマネジメントが必要」。小村徳男の背中から学んだ。最終ラインだけでなく、中盤やトップにも声を届けなければならない。

 中学時代にクラブチームで全国制覇。帝京高では中田浩二と同期。大学を卒業してSC鳥取、そして当時は東北リーグのTDKでそれぞれ2年間プレーした。

 2006年。「いい年」の25歳で結婚が決まり、落ち着こうと現役を引退。サッカーは地元の社会人チームで楽しむ程度だった。

 しかし、DFを渇望していたJFLの三菱自動車水島からオファー。「完全燃焼できているのか?」。心の中で、まだ燃え尽きていない自分に気づいた。

 そして、再びガイナーレへ。「Jを目指すチームでできるのは、この年ではもうラストチャンス」

 中学、高校、大学と一線でやってきたプライドが小原を駆り立てる。中田や小笠原満男、高原直泰ら“ゴールデンエイジ”と呼ばれた同期は、海外やJでまだ体を張っている。「負けられない」。円熟した28歳の肉体は今、ぐらぐらと燃えたぎっている。
 おはら・かずのぶ 1980年3月31日生まれ、28歳。岐阜県出身。東京・帝京高−順大−SC鳥取(2002、03年)−TDK(04、05年)−モリシンズFC(06年)−三菱自動車水島(07年)。180センチ、71キロ。愛称はノブ。中学時代は岐阜バーモスで全国優勝。帝京ではインターハイ、選手権と準優勝。順大でインカレ3位。元ユニバーシアード日本代表候補。

生粋のストライカー FW小沢竜己(背番号15)
2008年04月16日
ホンダ戦でプロ初ゴールを決め、全身でうれしさを表すFW小沢。「Jリーグに連れていく」。気持ちで戦い、チームを鼓舞する

 ゴールへの嗅覚(きゅうかく)と一瞬のスピードを持つ。ピッチに立てば、ふつふつと気持ちが高ぶる。「点を取ることが自分の仕事」。成長のため、いばらの道に身を投じ、自らを奮い立たせている。

 中学卒業時、Jチームや関東の強豪校などから誘いがあった。が「遠回りでも厳しい環境で鍛える」と愛知県から単身、青森山田高へ。雪国の練習は想像以上だった。1メートルを超える積雪の中、足を取られながら半分埋まったゴールにボールをけり込んだ。

 才能は開花。U−16日本代表として臨んだモンタギュー国際ユース大会決勝でイタリアを相手にハットトリック。優勝とともに大会得点王に輝いた。高い能力を買われ、高校3年の7月にFC東京と契約。インターハイでは頭部を8針縫う大けがを押して出場し、主将として青森県勢初の優勝に導き、男泣きした。

 輝かしい経歴を引っ提げて飛び込んだプロの世界。早々にデビューは果たしたが1年目は出場3試合。試練の2年目はゼロ。2年通して無得点に終わった。

 「もっと切羽詰まった中で結果を出したい」。南米に渡り、一年一年結果を残しているあこがれの福田健二のように。J2からも話はあったが、小沢はJFLという厳しい道を選んだ。

 インフルエンザや故障で出遅れたが、第4節の栃木戦で先発出場。13日のホンダ戦ではチーム先制点。待望のプロ初ゴールを決め、快勝のおぜん立てをした。

 「どんどん点を取りますよ」。ゴールのにおいをプンプンさせる。生粋のストライカー小沢。眠れる獅子がいよいよ目覚めた。
 こざわ・りゅうき 1988年2月6日生まれ、20歳。愛知県出身。青森山田高−FC東京(2006、07年)。170センチ、69キロ。愛称はコザ。U−16、17日本代表。U−18、19、20日本代表候補。お風呂好き。将来の夢は海外に挑戦すること。

一試合一試合必死に MF吉野智行(背番号14)
2008年04月09日
サッカーを通じ、多くの経験を積んだMF吉野。「前に進めば何かが起こる。好きなサッカーができて苦しいなんて言いたくない」

 全体を感じ取り、心身ともチームを落ち着かせるバランサー。やみくもに指示するのではない。ここ一番の「的確な声」が響く。

 高校卒業後、Jリーグへ。主力として活躍しながら受けた突然の解雇。J1への昇格。プロで10年。酸いも甘いもかみ分け、今やっと言える。サッカーは「仕事」と。

 「勝つ」ために一丸となった横浜FCでの2006年シーズン。J1に昇格した瞬間は、今も残像として目に焼き付いている。

 JFL入団は「8割なかった」。最後に覆したのは妻・尚子さんの一言。「枠に関係なく、必要とされるならやってみたら」。家族の後押しで、初めて関東を離れた。昇格の、あの達成感をもう一度味わいたい。その決意で、今ここにいる。

 開幕2連勝の後、連敗。自滅したジェフ戦。いいサッカーをしながら敗れた栃木戦。栃木戦の日は「心の底から悔しくて」、久しぶりに夜中まで引きずったという。

 試合を見ていない人には数字しか残らない。プロは結果が大事。その使命を背負いながら、吉野は言う。「純粋にサッカーを味わっている」。心から悔しい、楽しい。素直な感情をこの鳥取で、あらためて感じている。

 10年の経験。今の自分を「柔」と表現した。さまざまな状況に対応できる。客観的、主観的でいられる。その姿で、吉野は信頼を得ている。

 それでも「サッカーとは、プロとは。何かまだ分からない。どれも進化していくものだから」。自分も歩幅を合わせ、吸収していく。

 将来像は立てない。目の前の一試合一試合を必死に戦うだけ。吉野はその軽やかな感性で、奥にある引き出しを埋めていく。
 よしの・ともゆき 1980年7月9日生まれ、27歳。東京都出身。千葉・習志野高−浦和レッズ(99年〜2002年)−湘南ベルマーレ(02年〜05年)−横浜FC(06、07年)。178センチ、67キロ。愛称はトモ。尊敬する選手は山口素弘。高校時代はU−16、17、18日本代表。J通算203試合出場、5得点。

一を以て我が道を進む MF中垣雅博(背番号8)
2008年04月02日
自らを日の当たる選手ではないと言うMF中垣。「試合で気づかれなくてもいい。自分が走り、周りが気持ちよくできればいい」

 自分にとって、サッカーは「欠かせないもの」。勝っても負けても全員で共感でき、力が合わさってチームができる。「1番はチームが強くなること」。そのために、中垣はがむしゃらになる。

 中学から同級の増本浩平、大学で知り合った田村和也らとともにSC鳥取に入団した。デイケアやクラブが運営する「公園遊び」のスタッフをしながら、練習に明け暮れたアマチュアの2年間。働きながらのサッカーは、周りの人の応援に支えられた。

 昨季の開幕戦。先発出場したが、ハーフタイムで交代。その後4試合はベンチすら入れなかった。「ボールに触ればミスばっかり」。どんどん気持ちは落ち、普段なら開き直る自分は消え去っていた。

 プロの立場、そして勝利を過度に意識。「メンタルが弱い」。居残り練習を重ね、徐々に自分を取り戻した。ホームゲームで失点につながるプレー。その2試合は今でも忘れられないが、以前のようにくじけることはなくなった。

 「自分は下手。でも、下手なりにできることがある」。ボールを持っていない時の動き。相手を引きつけ、味方がプレーしやすくなればいい。それが、自分の生きる道だと信じている。

 「一を以(もっ)て我が道を進む」。高校の書道の先生が書いてくれた1枚の色紙。部屋に飾り、迷った時にはいつも助けてもらう。

 「スタメンで出られなくても、自分が頑張ればチームも強くなる」。それが、中垣の譲れない信念だ。
 なかがき・まさひろ 1982年8月15日生まれ、25歳。神奈川県出身。神奈川・伊志田高(湘南ベルマーレユース)−専修大。176センチ、66キロ。愛称はガキ。マイブームは春巻きやギョーザなどの手料理。全日本ユース準優勝。大学では主将を務めた。

ポジティブ&エンジョイ MF堀池勇平(背番号13)
2008年03月19日
「けがにも向き合える、動じない強い選手に」。MF堀池の視線の先には、目指す選手像がはっきりと見えている

 「何事にも動じない、しんの強い選手になりたい」

 今季、故障で出遅れている堀池の胸の内には、強い気持ちが宿っていた。ヴィタヤ監督の指導で「今一番(自分が)変われている」と実感。つらいことも楽しんで−。「ポジティブ&エンジョイ」。堀池の好きな言葉だ。

 企業チームの佐川印刷から昨年ガイナーレ入り。交代出場が多く、リーグ中盤には右ひざ手術で2カ月間戦線離脱した。復帰は後期第10節。いきなり先発出場し、チーム2点目をたたき出した。それ以降は全試合スタメンで出場した。

 しかし「1年間通して満足いっていない」。簡単なミスが多く、自らリズムを崩していたからだ。持ち味のドリブルとスピードが出せていない。1対1の場面の仕掛け。個人の技量が問われることに醍醐味(だいごみ)を感じている。

 2月初めに右ももの肉離れを起こした。完治しかけて練習量を増やすとまた悪化。その繰り返しでキャンプも別メニュー。チームの連帯が深まる一方で、自分は約6週間も実戦から遠ざかった。「今がサッカー人生で一番苦しい」

 しかし、焦ってはいない。「競争激しい中で、自分を強く持っていないとやっていけない。耐え忍んで、どれだけプラスに変えられるか」。以前はメンバーから外されれば突っかかっていた自分が、今は「なぜダメなのか」が客観的に評価できるよう一皮むけた。

 11日からボールに触れ、実戦に少しずつ復帰。苦しい時期も、すべては自分の成長のためにある。そう信じて、堀池はきょう一日を過ごしている。
 ほりいけ・ゆうへい 1982年5月15日生まれ、25歳。静岡県出身。静岡・清水東高−東海大−佐川印刷SC(2005年〜06年)。173センチ、67キロ。愛称はホリ。マイブームは豆からひくコーヒー。『中村俊輔 リスタート』が愛読書。

「感謝」を胸にピッチに FW秋田英義(背番号11)
2008年03月12日
サッカーができることに感謝するFW秋田。「どんな場面でも加われるように」と、泥臭くボールを追う

 「サッカーができることを、本当に幸せに思う」。さまざまな経験をしてきた秋田の言葉には、ズシリと重みがある。

 高校卒業後、名古屋グランパスに2年間所属。しかしなかなか報われず、地域リーグへと飛び込んだ。

 熊本の後、名古屋へ。市場で働きながら、サッカーを続けた。運営は自分たちの資金だった。早朝から夕方まで働き続けた後、夜に練習。1日1万円を稼ぐのに、大変な労力を費やしながら8年間続けた。周囲に支えられ、人のつながりを学んだ。

 そして2006年。名古屋を最後のチームと考えていた秋田に、FC刈谷から声が掛かった。「JFLでやってみたい」。サッカー熱に再び火がともった。

 「楽しくて仕方がなかった」。刈谷では稼ぎ頭の7得点。その活躍が目に留まり、07年後期からガイナーレに招かれた。この時、32歳。「二度もプロ経験ができるなんて、こんなチャンスはないと思っていた」。サッカーを続けてきてよかった。時代が評価してくれた。秋田は「感謝」を胸にピッチに立っている。

 昨季は14試合で4ゴール。納得はしていない。「もっとキープ力が必要」。きれいな点はいらない。泥臭く。「脇役でもいい。存在感のあるプレーをしたい。それが真のFW」。アマの13年間で、プロとしてお金をもらうありがたさを分かっているからこそ、今季に懸ける思いは強い。

 昨季までは最年長。しかし今季は、5歳上の小村徳男の姿に駆り立てられている。「転機はまだ。現役を辞める時がその時かな」。まだ先だろうその瞬間を思い浮かべ、秋田の表情はふっと緩んだ。


 あきた・ひでよし 1974年7月23日生まれ、33歳。岡山県出身。岡山・作陽高−名古屋グランパスエイト(1993年〜94年)−ブレイズ熊本(95年〜97年)−名古屋クラブ(98年〜2006年)−FC刈谷(06、07年)。177センチ、78キロ。愛称はアキさん。

チーム戦術理解し成長 MF実信憲明(背番号10)
2008年03月05日
性に合う、テンポの速いサッカー。「今、一番したいサッカーができている」とMF実信

 サッカーでは特別な背番号「10」。高校、大学、そしてガイナーレ。常に10番を背負ってきた。チーム戦術を一番理解し、目覚ましい成長を見せている。

 2003年にJFL3年目のSC鳥取に入団。当時はまだ夜間練習のアマチュアチームだった。病院や中学校の事務などで働きながらの選手生活。試合にも思うように出られず、入団1年目の23歳は「物足りなさ」にくじけそうだった。

 それでも、センスあふれるプレーは次第に認められ、出場機会は着実に増えていった。06年には100試合出場を達成した。

 その年の最終節は、特別な試合となった。翌年のチームプロ化を控え、アマでともに戦ってきた仲間との最後の試合。「すごく勝ちたかった」。結果はドロー。情に厚い実信は涙に暮れた。そして、引退する同志の背中に「プロでやってやろう」と固く誓った。「今も大切にしている試合」だという。

 プロ元年は、ふがいない14位。目指すサッカーが熟知できていなかった。ボールが動く、テンポの速いサッカー。今季は誰よりも理解しようと努めている。

 攻守両面のかじ取り役のボランチ。キープ力、そして落ち着きが増した。課題は1対1に強い「激しさ」(ヴィタヤ監督)。持ち前のうまさに合わされば、中盤の核となる。

 今ではチーム一の古株。「ツンツンしていた自分を大人に育ててくれた」。6年目、ガイナーレ一筋の実信。「ファンの喜ぶ顔が力になる」。大きな声援を背に、ガイナーレの10番がピッチに立つ。
 さねのぶ・のりあき 1980年5月7日生まれ、27歳。広島県出身。広島・沼田高−東農大。165センチ、60キロ。愛称はサネ。趣味はドライブ。気分転換は昼ドラマを見ること。

クールで熱いチームの核 DF戸田賢良(背番号7)
2008年02月27日
「すべてを見てほしい」とイレブンを鼓舞し、プロ意識を前面に押し出すDF戸田(左)

 高さ、そしてスピードを生かした豪快なプレーが持ち味だ。「誰にも負けたくない」。どんな時でも、気持ちだけは強く持とうと心に決めている。

 昨季、ガイナーレ入り。「入ってすぐリーダーシップを発揮してくれた。全体が引き締まった」(MF実信憲明)。戸田は最終ラインの核、そして主将としてチームを率いた。

 2007年3月18日。すべてのスタートである開幕戦。前年10位の相手に0−1で負けた。準備したつもりでも、詰め切れていない部分が露呈。「やっぱりか…」と不安がよぎった。

 自らのプレーで暗雲をかき消そうとしたが、不安は徐々に現実となった。DFの自分が、前期第5節からFWとして13試合に出場。「他のFWは悔しくないのか?」。リザーブも含め、全員で戦う力が足りないと痛感。リーグ終盤には定位置に戻ったが、チームとしての完成度の低さを感じずにはいられなかった。

 しかし、今後J2に上がって戦うために「必要な年だった」と考えている。今季はプロ意識が高まり、全員の顔つきが違う。センターバックは競争激化。豊富な経験で先頭に立っていた戸田も、今季は小村徳男と組み、吸収しようと必死に戦っている。

 学生時代から支えてくれた妻、朝子さんがいたから今がある。「持っているものをすべて出す。自分の信じた道を」−。クールで熱い男、戸田。人一倍響く大きな声で、チームを勝利へと導いていく。
 とだ・たかよし 1979年12月8日生まれ、28歳。宮崎県出身。宮崎・都城泉ケ丘高−福岡教大−湘南ベルマーレ(2002年〜06年)。185センチ、77キロ。愛称はトッティ。中学からFW。元女子日本代表監督で当時湘南監督の上田栄治氏に勧められてDFに転身した。

けが乗り越え走り続ける MF小井手翔太(背番号6)
2008年02月20日
「サイドから点につながるボールを供給したい」。正確なクロスを上げる“最後の部分”にこだわるMF小井手

 けがに泣いたプロ2年目。復帰後、体は万全でも試合に出られない葛藤(かっとう)も経験した。J2鳥栖で学んだことは「忍耐」。そのすべてをこの1年にぶつける。

 2005年、プロ2年目の秋。J初ゴールを決めた試合で、左ひざ前十字靱帯(じんたい)を傷めた。リハビリに1年を要して復帰。「やっとサッカーができる」。心底うれしさをかみしめた。

 06年の天皇杯3回戦。相手の立命大GKは現ガイナーレの修行。小井手の放った直接FKは、きれいな弾道を描いて同点ゴールとなった。が、07年の出場は17試合。故障ではないのに出場できないつらさ。「使ってもらえないなら外に出たい」。戦力外通告を受ける前に、自分で他チームを探した。

 オファーはJを含め3チーム。その中から、「この1年が勝負」と明確な目標を掲げ、強く自分を欲してくれたガイナーレに心動いた。実は鳥栖に入団する前、SC鳥取のセレクションに参加した縁も。不思議な巡り合わせを感じながら、再び鳥取の地を踏んだ。

 キレ味あるドリブルでサイドを駆け上がる。豊富な運動量と独特なボールタッチが持ち味。求められるのは「ゴールに直結するプレー」。最後のクロスボールの精度に磨きをかける。

 人懐こい笑顔が印象的な26歳。「強い者が勝つんじゃない。勝った者が強いんだ」。漫画「キャプテン翼」の名ゼリフが座右の銘だ。普段は「甘えっ子」で、家では愛犬に癒やしてもらう「寂しがり屋」。だがピッチでは、勝利のために自分にも周りにも厳しくいく覚悟だ。

 一番自分らしく表現できるピッチで「走り続けられる限り走り続けたい」。風を切り、サイドを駆け上がるショータ。躍動感あふれる姿から目が離せない。
 こいで・しょうた 1981年9月29日生まれ、26歳。福岡県出身。福岡・東海大五高−福岡大−サガン鳥栖(2004年〜07年)。173センチ、69キロ。愛称はショータ。趣味は57センチを釣り上げたこともあるブラックバス釣り。好きな選手はC・ロナウド。

「やってやろう!」強い決意 DF吉瀬広志(背番号2)
2008年02月13日
「『ボールを持ったら何かやってくれる』と、ドキドキさせるプレーをしたい」。静かな闘志を燃やすDF吉瀬

 大きなけがとの闘いを乗り越え、一回りも二回りも成長した。

 高校を卒業し、当時J1の札幌に入団。しかし、右ひざ手術で2年目を棒に振り、3年目は10試合連続で出場したが、終盤になるにつれピッチに立つ機会は減った。

 「中途半端に終わりたくない」。水戸にレンタル移籍した後、札幌の首脳陣に「もっとハングリーになれ」と背中を押され、シンガポールへ渡った。22歳だがチームでは年長。主将を任され、勇んで迎えた開幕戦に、悪夢が待っていた。

 開始30分、左足首骨折。全治3カ月と診断された。目の前が真っ暗になった。

 だが「やれるなら、最後までやって帰ろう」。3週間の車いす生活の後、懸命にリハビリを重ね、シーズン中盤からピッチに戻って15試合に出場した。

 翌年、3季ぶりに札幌に復帰。ただ出場はわずか2試合と、活躍の機会に恵まれなかった。新天地に鳥取を選んだのは、昇格の喜びを味わうため。「やってやろう!」。強い決意を胸に刻んでいる。

 守りの意識が高く、カバーも速い。センターバックやボランチを柔軟にこなし、札幌では主に守備専門のサイドバックを任されたが、鳥取ではこれまで以上に攻撃参加が要求される。戸惑いもあるが「求められるのはうれしい」と、新境地を切り開く考えだ。

 「プライド高かった自分が、素直に向き合えるようになった」。人として大きくなったキチ。「1−0でもいい。勝つサッカーにこだわりたい」。けがを克服した肉体には、熱いハートが宿っている。
 きちせ・ひろし 1983年7月10日生まれ、24歳。福岡県出身。福岡・筑陽学園高−コンサドーレ札幌(2002年〜04年)−水戸ホーリーホック(05年)−アルビレックス新潟シンガポール(06年)−コンサドーレ(07年)。178センチ、70キロ。愛称はキチ。

すごみ増す“ぬりかべ” GK井上敦史(背番号1)
2008年02月06日
「技術を生かすのもコミュニケーション」と、持ち前のキャプテンシーでチームを引っ張るGK井上

 堅実な守備で監督、選手の信頼を勝ち取った。あくなき探究心で、今なお成長を求め続けている。

 20年来、GK一筋。サッカーを始めた当時はGKの情報がなく、「自分でうまくなる方法を考えるのが面白い」とのめり込んだ。“最後のとりで”のポジションは、一番落ち着く場所になった。

 「上で試したい」。大学卒業を機にサッカーで生きていこうと決断し、2000年にコンサドーレ札幌に入団。初めは周りのレベルの高さに戸惑ったが、「やるしかない」と発奮。時間がかかっても、一つ一つ課題をクリアすることが楽しかった。

 04年からJFLへ。「将来的にJでプレーしたい。やっぱりサッカーで飯を食いたい」と07年、主将を務めた横河武蔵野FCから、プロ化するガイナーレ鳥取に移籍した。

 昨季はチームでただ一人、全34試合に出場。幾多のピンチを救った守護神を、サポーターは敬意を表して“ぬりかべ”と呼ぶ。

 「うれしいけどそれだけ危ない場面を作ってしまったということ。もっとDFと連携していれば」。練習からもっと意見を言い合うべきだった。分かっていてもできなかった昨季。だから、いい意味で「自分の仕事を減らすこと」を、今季最大の課題に掲げる。

 「30歳を超え、これからが楽しみ」。経験を重ねてこそGKはすごみを増す。「常に挑戦」の言葉を胸に、熟す時を迎えた井上のシーズンが幕を開ける。
 いのうえ・あつし 1977年5月28日生まれ、30歳。埼玉県出身。市立浦和高−筑波大−コンサドーレ札幌(2000年〜03年)−横河武蔵野FC(04年〜06年)。181センチ、79キロ。愛称はイノッチ。気分転換はカフェなどのお店巡り。





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