懐の深い新聞での自由な執筆

コラムで得た出会いという宝物

金井啓子の伴走で伴奏

 大阪日日新聞の休刊に伴い、私がこのコラムを書くのも残り2回となった。書きたいことはまだ多々あるが、私の個人的な思いを書いて締めくくろうと決めた。

 私が週刊コラムを寄稿し始めたのは2010年7月だった。2回のリニューアルを経て、丸13年間書き続けたことになる。

 読者の方々は、このコラムは何を専門としているのか、と戸惑いを感じることがあったかもしれない。だが、担当者からはとにかく何を書いても良いというありがたい言葉を頂いていたので、「私が気になること」を自由に書いていた。

 「自由に」とはまさに文字通りで、これまで私の原稿に対して、「こういうことを書くのは困る」「ここを変えてほしい」という要望が届くことは一切なかった。大阪日日新聞そのものを非難するような内容を書いたことこそなかったが、種々の問題を抱えるマスメディアについては何度も批判的な内容を書いた。

 つまり、大阪日日も批判の対象の一部だったわけだが、それに対して文句をつけることはなかった。少なくとも、私にとっては間違いなく懐の深い新聞で、私はそういった自由さの中で、自分自身の考えを少しでも多くの方々にお届けして、何かを考えるきっかけとしてほしいと願って書き続けてきた。

 そういう自由さを持ちつつ、大阪の小さなニュースをたくさん拾ってきた新聞が消えることは、私のみならず、大阪にとっても大きな損失だろう。

 一方、私自身もこのコラムを書くことによって、さまざまな宝物を得た。

 その中で最も大きな宝物は、多くの人々との出会いである。たとえば、東京出身の私が大阪という全く異なる文化を持つ街に戸惑いつつ「郷に入っては郷に従え」という考えを持ちながら暮らしている、という話を書いた時には、上方落語の世界で江戸弁を使う唯一の落語家だという笑福亭円笑さんから直接連絡を頂戴した。以後、何度もお目にかかり、もともと好きだった落語に関して少しずつ関わりを深めていくという幸運に恵まれた。

 他にも、フェイスブックで「コラムを読みました」と友達申請をしてくれた方々もいる。コラムを書いたからこその出会いと、そして多くの出会いを与えてくれたこの「窓」には感謝している。

 (近畿大学総合社会学部教授)

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