新アレンジでシングル化 五木ひろし「だけどYOKOHAMA」 18年ぶり、特別な思い 来月29、30日に関西ライブ

 演歌歌謡界の頂点に立つ五木ひろし(75)が新たなCD「だけどYOKOHAMA」を出した。私はこの歌が好きで良く知っているが、元々アルバム「五木寛之・五木ひろし作品集~ふりむけば日本海~」(2005年)の中の1曲。20年近くをへて改めてシングルカットした狙いから、久しぶりに会ってのインタビューが始まった。

 私が新たなアレンジに触れて「この曲の仕上がりは大ヒット曲『夜明けのブルース』(12年)へとつながってますよね?」と水を向けると、ニッとほほ笑んだ。大作家・五木寛之の詞は愛してやまない横浜の街の変わりゆく風情をリスペクト。そして、五木ひろしの作曲はテンポとリズム感が素晴らしいのだが、当時はシングルカットされなかったので一般には余り浸透していなかった。新たなアレンジに変わった同曲は五木の歌い方がよりスムーズで、彼らしい節回しになりファンには納得の仕上がりだ。

 「五木先生は石原慎太郎・元東京都知事と同い年。2人とも私はよく存じ上げている方でした。その石原先生は残念ながら昨年89歳で亡くなられましたが、五木先生は無事に90歳の卒寿を迎えられた。新たなアレンジのCDは五木先生へのお祝いとお礼の意味もあります」と説明。

 私は五木寛之のファンで、彼が「艶歌」「涙の河をふり返れ」などデビュー当時から演歌・歌謡曲の世界に深い造詣を示した作品を発表していたことを知っている。五木ひろし自身も「五木先生はホントに演歌にお詳しいし、深く愛してくださっている素晴らしい方。僕はデビュー当時似た名前なので、先生の作品の熱心なファンから“サインください”と言われ、差し上げたら“エッ?”といぶかられたことがあります。先生と間違われたんですね」と懐かしいエピソードも。

 横浜についても五木の強いこだわりがある。「三谷謙時代に“雨のヨコハマ”(1969年)という曲を出して、五木ひろしになって“よこはま・たそがれ”(71年)でデビュー。2003年には“逢(あ)えて…横浜”という曲が出ている。カタカナ・ひらがな・漢字と来て、今回がアルファベットで全部の横浜表記のシングルCDがそろった。五木先生も70年代から横浜にお住まいだし、僕も横浜には特別の思いが。これを機会に(プロ野球のDeNA)ベイスターズも久しぶりにリーグ優勝してほしいね」と話す。

 コロナ禍も明ける5月中旬からは「五木ひろしコンサート2023」を全国でビッシリ。関西では6月29日梅田芸術劇場、翌30日神戸文化ホールと連続。「1ステージで25曲前後は歌いますからね。キーも変えないし、水も飲まない。続く時は4日連続もあるから2日なら全然平気」とケロリ。かねて「五木ひろしをできなくなったら辞める」と公言しているように、年齢で線引きするのではなく“歌手五木ひろしとしての存在感”を何より大事にしている。

 親しい仲なので、あえて「次の目標は?」と問うた。すると「森繁久弥先生(09年、96歳で死去)」と具体的な名を挙げた。「年を重ねられても歌われ、お芝居もされる。コミカルな作品も素晴らしくて、僕はあの“社長シリーズ(東宝が1956~70年制作の森繁主演の喜劇映画)”を舞台化できないか? と本気で考えてます」と尽きぬ夢を熱っぽく語ってくれた。

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