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「火水木」大人も子どもも 吹田のご当地鬼ごっこ

2020年5月5日

 「火水木」を知っていますか? 「か・すい・もく」ではありません。「ひ・みず・き」と読んだあなたは、吹田出身ですね。火水木は、「火」「水」「木」の3チームに分かれ、火は木を、水は火を、木は水を追いかける鬼ごっこ。1975年に吹田市内の学童保育(現在の留守家庭児童育成室)で生まれ、現在でも市内の子どもたちに根付く。誕生の裏側には、60年代の高度経済成長期、仕事と子育てのはざまで奮闘した若い親たちの姿があった。

当時の思い出を笑顔で振り返る中矢さん(左)と、実行委員会の福田さん=吹田市内
火水木世界大会の実行委員を募集中。アピールする市都市魅力部の宮崎良彦さん(左)と菊池さん=吹田市内

 同市と豊中市にまたがる千里丘陵に日本初の大規模ニュータウンの入居が始まった60年代初頭、JR吹田駅周辺の市街地にも共働きの家庭が増えた。若い親たちが展開した保育園設立運動は、69年に乳児保育や夜間保育を実施する「こばと保育園」(吹田市高城町)の開設と、その後の市立吹田三小内での学童保育につながった。

■軍国主義の遊び?

 75年9月、吹田三小の学童保育の親子合宿が服部緑地で行われた。その際、当時1年生だった長女と参加した中矢道一さん(81)=同市高城町=が、遊びに提案したのが「火水木」の始まりだった。

 戦時中、朝鮮の海軍宿舎に疎開していた中矢さんは、子ども同士で同様の鬼ごっこをよくしたという。しかし、呼び方は「水雷、本艦、駆逐艦」。まさに、遊びは時代を現す。

 ルールはさておき、大人たちから「ネーミングが軍国主義」との指摘があり、「火は木を燃やす、水は火を消す、木は水を吸う」という理由で「火水木」になった。中矢さんは「子どもたちは日が暮れても夢中でやっていた」と懐かしむ。

■遊びで学ぶ

 学童から始まった火水木は現在、学校の休み時間や放課後、授業でも行われ、広く浸透。吹田市で生まれ育った同市都市魅力部の菊池優衣さん(25)も小学生時代は火水木に親しんだ。

 運動は苦手だったそうだが、「足が遅くて負ける遊びじゃない。年齢に関係なく、強い弱いがはっきしていないのがいい」と、良き思い出として残る。

 タッチされると相手の陣地に連れて行かれるが、味方がタッチすると復活できるルール。チームワークはもちろん、木と水が結託して火を追い詰める“裏技”もあり、体力と知力、さらに対応力も試される。中矢さんは「子どもにとって遊びは人生そのもの。協力することを頭ではなく体で知る」と話す。

■吹田一は世界一!?

 市では、市制施行80周年を記念し、改めて「火水木」にスポットを当て、今秋開催を目標に「火水木世界大会」を企画。市民有志による実行委員会のメンバー福田耕さん(32)は「火水木から吹田の歴史にも目を向けてほしい」と話す。

 実行委では今後、ルールなどの概要を決めていく。「大人も子どもも、いろんな世代が入り乱れて遊んでほしい」と菊池さん。“吹田一は世界一”に込められた願いは、世代や性別、障害を超えた地域のつながりだ。


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