大阪ニュース

東日本大震災10年 母子で大阪避難が続く森松さん  

2021年3月4日

 東日本大震災で被災し、福島県から当時3歳の長男と0歳の長女を連れ、森松明希子さん(47)は大阪市に避難した。同県で医師をする夫(50)と離れ、本来あるはずだった家族一緒の時間は今も奪われている。放射能汚染がなくなれば帰りたい。そう願って間もなく10年。家族が集うべき「家」は今も福島にある。

福島第1原発事故の影響で家族が離れて暮らす生活が続くが、夫や子どもたちとの時間を何より大切に感じている森松さん=大阪市内

 2011年3月11日、最大震度7の地震が襲った。森松さんは、福島第1原発から約60キロ離れた郡山市内の自宅マンションで、当時生後5カ月の長女と穏やかな「日常」を過ごしていた。突然の立っていられないほどの激しい揺れ。とっさに娘の頭を守るように抱きかかえた。死を覚悟したが、幸い2人とも無事。その日のうちに家族4人で再会した。

■命の水が汚染

 避難所での生活が始まって10日ほどしたころ。ニュースで市内全ての浄水場から、放射性物質が検出されたと耳にした。「命の水」だと思って飲んでいた水が、汚染されていたと知らされた。

 役所から各家庭にペットボトルの水が配られるわけでもなく、ほかに飲み水はなかった。その水を飲み、出た母乳を長女に与え、長男の喉が渇けばコップに注いだ。すぐに健康に影響は出なくても、“毒”だと分かって子どもに与える地獄のような状況だった。

 罪悪感のほか、重なるストレスで精神的に追い詰められた。それでも福島での生活再建を目指したが、夫が放射性物質の蓄積を心配し、子どもを連れて関西に避難するよう言った。

 地震発生の2カ月後、一時的な避難のつもりで京都の妹の家に身を寄せた。そこで福島第1原発事故の被害の深刻さをニュースで知り、夫と離れて避難を続ける道を選択した。

 今は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、夫とは思うように会えない。それまでは夫が月に一度、夜行バスに乗って大阪に会いに来てくれていたが、森松さんは子どもから夫を引き離して良かったのかと何度も悩んだという。

■健康に生きる

 また、国の避難者に対する施策の不十分さに「声を上げないと、なかったことにされてしまう」と意を決して、2013年に原発賠償関西訴訟原告団の代表に就いた。

 18年にはスイス・ジュネーブの国連人権理事会で、「私たちに情報は開示されず、無用な被ばくを重ねた。放射能から逃れ、健康を享受することは、基本的原則です」とスピーチ。放射線被ばくを逃れて健康に生きる権利を「被ばくからの自由」と呼び、侵害されてはならないと強く訴える。

 新型コロナの緊急事態宣言が大阪はじめ6府県で解除されたが、11年3月11日に発令された「原子力緊急事態宣言」は今も解除されていない。

 「原発事故さえなければ…」。何度そう思ったか分からない。「私たち家族にとっては10年間、毎日、避難を続けている状態です。原発事故がなければ、福島の暮らしがあった。私は『福島県民』なんです」。まなざしの先に家族4人が暮らした大切な福島の姿がある。

 もりまつ・あきこ 兵庫県伊丹市生まれ。原発賠償関西訴訟原告団代表、原発被害者訴訟原告団全国連絡会共同代表を務める。著書に『災害からの命の守り方−私が避難できたわけ−』(文芸社)などがある。


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