世界の各地で紛争が起こっている。そのありさまを見るにつれ、イスラエルのエルサレム旧市街でかつて経験したこと、感じたことの大切さが思い出される。
1990年代の後半、私はイギリスに留学していた。ある時、イスラエルで学会があり、私は初めてかの地を訪れた。
エルサレム旧市街を歩くことは、驚きの連続だった。キリストが十字架を背負って歩いたとされる道の近くに、ユダヤ教にとって大切な「嘆きの壁」、そして「神殿の丘」があり、そこにイスラム教の聖地である「岩のドーム」と「アルアクサ・モスク」が建っていた。
キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教という主要な宗教の聖地が、まるで集積回路(IC)のように入り組んだ街。歩いているうちに、次々と全く違う世界に連れていかれた。キリスト教の聖地には、世界各地から信者たちが集まっていた。嘆きの壁では、「正統派」のユダヤ教徒の方々が思い思いに祈りをささげていた。神殿の丘にあるイスラム教の聖地を訪問した。簡素で美しい内部の様子から伝わってくる、偶像崇拝とかけ離れた精神性に感銘を受けた。
宗教や文化は、対立の原因になることもある。考え方、感じ方の違いが根深い不信につなが...