あなたの好きな俳優を思い浮かべてみてほしい。新聞・雑誌やネットの記事でその人のことが取り上げられていた時に、名前の漢字が誤っていたらどう感じるだろうか。たとえば私の場合、私が高校生の頃から好きな高倉健さんが「高倉建」と表記されていたら腹立たしい。
そのミスに対して腹立たしいだけならまだよい。だが、多くの場合、その記事全体の内容がいかに正確であっても、そのミスをひとつ見つけただけで全体を疑う気持ちが生まれる。その記事への疑念だけで済まず、記事の筆者が書いた他の記事や、記事を載せているメディアに信頼感を抱けなくなる場合もある。
私は学生が書く作文で漢字が誤っていると遠慮なく減点するし、漢字テストの点数がもっと上がるように叱咤(しった)激励する。その時に「漢字を知らないと頭が悪いと思われるから頑張るんじゃない。間違った字や言葉では、相手に言いたいことが伝わらないし、信頼感を失うからだ」と話す。
ネットの発展に伴い、誰でも不特定多数の人々に対して情報発信できるようになって久しい。それと同時に、誤字脱字や誤用、意味不明の文章を目にする機会が飛躍的に増えた。
素人の場合ならばまだご愛敬で済ませられるが、文章のプロであるジャーナリストの中にもそんな文章を載せている場合があって、ジャーナリズムに関わっている私としては見逃せない思いを抱いている。
手前みその話になるが、私はこのコラムの原稿を書き上げた後には記者をしている友人に必ず目を通してもらっている。誤字脱字などの細かいミスだけでなく、私が「これで伝わるはず」と思い込んでいた箇所が理解できないと指摘して書き直すようアドバイスしてくれることもある。その後に大阪日日新聞の担当者にお送りして、そこでもう一度チェックを受けている。読者に届けるためにはそれぐらいの手間をかけていることを、私は誇りに思っている。それでもミスはありうると自戒しつつではあるが。
私が勤めていたロイターでは「2組の目を必ず通す」というルールに基づいて、記者が書いた記事をエディターと呼ばれる人々が必ずチェックしていた。
後半は文章のプロの話ばかりになってしまった。だが、誰でも情報発信をできる今、読者に自分の文章を届ける時には誰もが意識したい点だろう。それが信頼性の向上や維持につながるのだ。
(近畿大学総合社会学部教授)
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