金井啓子の伴走で伴奏

威圧的な政治家は即退場へ

2022年5月2日

言葉が持つ圧迫感と寛容さ

 方言は、その土地に住む人はなんの違和感もなく使うものだが、それ以外の人には違和感だけでなく、時には不快感を与えることもある。

 東京西部で生まれ育った私が大阪に住み始めた頃、大阪出身の男性が私の言葉について「東京の人の話し方は冷たい」と言ったことがあった。大阪人は東京弁に厳しいといううわさを聞き及んでいた私は「これか」と思った。その後の私は大阪暮らしが長くなり、東京弁に大阪のアクセントが加わった奇妙な言葉を話すが、周囲が生ぬるく許容してくれるせいか、ケチをつける大阪人には遭遇せずに済んでいる。

 逆に、大阪に住み始めた直後の私は、大阪弁をはじめとする関西周辺の言葉を耳にするたびに、怒られているような気がしたものである。特に年上の男性が低い声で話すと聞き取りづらいこともあって、そう感じた。相手は怒っておらず普通に話しているのだが、それだけ「母語」ではない言葉は違和感を与える存在なのだ。だが、大阪生活が通算18年を越えた今、私に話しかけている時も街で耳に入ってきても、大阪弁は違和感なく聞こえるようになった。それだけこの土地になじんだということだろう。

 だが、先日聞いた「なんで俺の発言だけ問題あんねん。お前。こらぁ!お前ええ加減にせえよ、お前。都合のええことしやがってわれぇ」という言葉には震え上がった。奈良県橿原市議会の前議長で日本維新の会の原山大亮市議(当時)が亀田忠彦市長に放った言葉である。飲み屋での口げんかかと思いきや、議長室で国体招致について話していたというから驚いた。市民の生活に直結する話を政治家が話しているはずが、まるでどう喝である。

 日本維新の会や大阪維新の会に所属する議員には、私もこれまで数人だが会ったことがある。そのうちの全員ではないが、明らかに自分よりも立場や力が上だと思う人物には穏やかに話すが、同じ場で私に対しては持論や身内の自慢話を繰り広げて威圧しようとしていると私が感じる場面に遭遇した。

 繰り返しになるが、維新の人間がすべてそうだとは思わない。だが、大阪で勢力を広げている維新の関係者の言葉や行動は、大阪に住む私たちには大きな影響を及ぼす。どうかまっとうな話しぶりでまっとうな政治を進めてほしい。

 前回に続いて今回も言葉の暴力について書いた。次回は何か違う話を書けることを願っている。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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