金井啓子の現代進行形

24年が過ぎた阪神淡路大震災

2019年1月17日

あの恐怖を後世に伝える努力を

 地震や豪雨の被害の様子をテレビで見ていても、被災地を後で訪れても、自分が被災の当事者にならないと災害の恐ろしさを身にしみて実感するのは難しい。こんな当たり前のことを大阪に住む私がようやく理解できたのは、昨年6月の大阪北部地震と9月の台風21号が襲った自宅にいた時からである。被災体験はそれだけ強烈なのであって、他者には想像しづらいものでもあるのだろう。

 私は阪神淡路大震災の時には東京、東日本大震災の時は大阪にいた。だから、この二つの震災の怖さを直接体験していない。

 阪神淡路大震災から5年後の2000年1月17日朝、慰霊式典の取材のために神戸の東遊園地にいた私は、5時46分の暗さと寒さを身をもって味わった。あの暗さの中で巨大な揺れで目を覚まし、身体をはさまれたまま息絶える痛みと恐怖。崩壊した家から逃げ出せても、暖を取れず温かい食べ物を口にできない絶望。想像しようとはしたが、現実のものとしては感じられなかった。

 東日本大震災から1年後の2012年3月に、私はほとんどの家が流されてしまった福島県内のある海辺に立っていた。もともとは海が大好きな私だが、すぐそばで聞こえる波の音がこわいと感じたのはおそらくその時が初めてだった。それでも、頑丈な土台の上に建てられていたはずの多くの家を破壊しつくすほどの力を海の水が持っていたということが、なんだか信じられないという気持ちしかわいてこなかった。

 巨大な災害の現地を訪れても、どことなく人ごととしてしかとらえられなかった私が大きく変わったのが、冒頭に述べた二つの災害の後だった。不幸中の幸いと言うべきか、私自身が負傷することはなく、自宅への被害もなかった。それでも、朝8時前にぼんやりとテレビの画面を眺めていた時に突然身体が激しく揺すぶられた驚きや、経験したことのない強烈な風に窓がいつ割れるかとおびえながらカーテンをしめきった部屋の片隅でじっとしているしかない恐怖は、今でも鮮明に思い出せる。

 きょうは1月17日。24年前のきょう体験した驚きと恐怖を今でも鮮明に覚えている人は、関西一円に数多くいることだろう。

 だが、あの日より後に生まれた人や、震災後に関西に引っ越してきた人たちは、震災に対する実感は持ち合わせていない。被災の経験を、実際に被災していない人にどう伝えればよいのかという壁は大きい。私だって、昨年の驚きや恐怖をどう伝えるかと問われたら、正直なところお手上げである。

 ただ、今の自分にできることは、昨年の驚きと恐怖の体験を糧として、きたるべき大災害では少しでも自分とそして周りの大切な人たちの命を守ること。大したことはできないという無力感を抱かないわけではない。それでも何もしないよりはマシ。そう思って備えるしかないだろうと考えている。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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