澪標 ―みおつくし―

治療家人生の幕開け

小林 英健
近畿医療専門学校理事長
2020年9月15日

 このたび、大阪日日新聞とご縁をいただき読者の皆さまに、私の半生と考え方などを述べさせていただきます。選択に満ちた皆さまの毎日に何かのお役にたてれば幸いです。

 さて、人には誰でも、人生のターニングポイントがやってきます。私の場合は大学の心理学の授業でした。「幸福論」という講義で、「幸せとは何か?」という内容でした。教授いわく「好きなことをしているときに人は幸せを感じるもの。君たちも好きなことを見つけ、生きがいを持ちなさい」というものでした。

 これを聞いた私は「好きなことが仕事になればずっと幸せでいられる。こんな人生にしたい」と思いました。でも、どんな仕事が私にとって生きがいと思えるのだろうか?

 当時、サラリーマンは会社のために尽くす「企業戦士」と呼ばれていたので、普通のサラリーマンでは生きがい探しは難しい。でも大阪市職員の父を見ると、給料はさほど高くないものの、毎日決まった時間に帰宅していました。時間があれば生きがい探しができるかもしれない。そう思った私は公務員になろうと思いました。

 しかし、そんな甘い気持ちで受けた公務員試験は、すべて不合格。大学4年生も半ばになり、友人たちが次々と就職先を決める中、私は焦ってきました。そんな時、街を歩いていると、3時きっかりにシャッターが閉まる会社を見つけました。「これだ」と思った私は、その会社に入社を決めました。

 それは銀行でした。元気に入社した私でしたが、やはりそこも残業続きの「企業戦士」、生きがい探しの時間などは取れるはずもなく、1カ月もたたずに辞めようと思いました。ある日勇気を奮って父に相談すると、父は烈火のごとく怒りました。「せっかく入った銀行を辞めるとは何事だ。辞めるのならば出ていけ!勘当や!」と言われる始末。勘当は困るので、渋々銀行にとどまることにしました。

 そして6月のボーナス月、支店長から外回り営業に行くように言われました。その銀行は東大阪市の布施駅前にあり、地域には中小企業、上場企業の支社、商店街などあらゆる業種が混在していました。毎日オフィスやお店を回りながら、社長さんたちに仕事に生きがいを感じているかどうかを聞いたのですが、それを感じているという人は見つかりませんでした。

 そんな中、顧客の整骨院の先生と出会いました。その先生にも生きがいについて尋ねたところ、「この仕事は人から喜ばれ感謝される素晴らしい仕事ですよ」と言われました。そこには仕事への大きな誇りを感じました。今度こそ「これだ」と思った私は、すぐに銀行を辞めて専門学校に入学し、柔道整復師の国家資格を取って整骨院を開業したいと思いました。

 しかし、当時の私は高校の同級生だった家内と結婚したばかりだったので迷いました。しかも仲人は上司である支店長。さらに再び父の言葉「勘当や!」を思い出し、私は情緒不安定になるほど悩みました。悩みに悩んだ揚げ句、やはり好きなことを仕事にして、幸せな人生を作りたいという思いが勝り、ついに銀行を辞めました。

 翌年4月、整骨院で先生の助手をしながら、昼休みに専門学校に通う生活が始まりました。私の波瀾(はらん)万丈の治療家人生は、こうして幕を開けました。

 (大阪市北区、こやばし・ひでたけ)

 【プロフィル】 1958年生まれ。関西大学を卒業後、金融機関に就職。その後、当時の顧客であった整骨院院長の話に感銘を受け、生きがいを求めて柔道整復師を志す。独立開業後、分院展開を図る一方で自身の手技の研さんにはげみ「小林式背骨矯正法」を生み出し、さらにそれを進化させた「スポーツ活法」を確立。その技術の普及と後進の育成を図るべく、2008年に近畿医療専門学校を開校、理事長に就任。2020年小林整骨院グループ38院目開院(https://www.kinkiisen.ac.jp/)


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