大阪市史跡探訪

 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(9) 西淀川区・淀川区

2021年8月15日

 西淀川区は明治期以降に工場進出が相次ぎ、市内有数の工業地区になった。さらにさかのぼれば、その昔は海の底で、淀川が土を運び、いくつもの島を形づくった。大野地区の「判官松伝承地」碑によると900年ほど前、この辺りは「景勝の地」だったという。周囲の町工場から響く金属音を聞きながら、“知る”ことは、つくづく面白いと感じた。


判官松伝承地 (西淀川区大野2丁目)

 大野の地で1185年、源義経が平氏追討の途中、しばしの休息を取った。平氏を討つことができた記念に植えたと伝えられる松があったが、1877(明治10)年に落雷で焼矢した。大阪シティバス大和田橋の西約200メートル、大野下水処理場正門前。



佃漁民ゆかりの地 (西淀川区佃1丁目)

 佃は古来、漁業が盛んな所で、徳川家康に奉仕をしたことの恩賞として各種の特権を受けた。東京の佃島は、この地から移住した人らが故郷の佃村にちなんで命名したのが起こり。大阪シティバス佃の北東約300メートル、田蓑神社内。



上田秋成寓居跡・加島鋳銭所跡 (淀川区加島4丁目)

 『雨月物語』の著者で、国学者、歌人としても知られる上田秋成(1734〜1809年)が居住していた。加島鋳銭所は、香具波志神社の北方にあり、1738〜41年の3年間、銅銭や鉄銭を鋳造した。大阪シティバス加島の北約300メートル。


野里の渡し (西淀川区野里1丁目)

 淀川改修以前の中津川が、野里地区を流れていた。野里住吉商店街がその右岸堤防にあたり、対岸と結ぶための「野里の渡し」が置かれた。1876(明治9)年には「槲(かしわ)の橋」という有料の木橋が架けられ、中津川が埋め立てられる1906年ごろまであった。大阪シティバス野里の北東約500メートル。



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