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もう一つの「原爆」 大阪に落とされた模擬原爆


 二〇〇一年の9・11米中枢同時多発テロ、イラク戦争に続いて、自衛隊のイラク派遣など、日本を取り巻く国際環境が激変している。一方で、日本は人類史上、初めて原爆を広島、長崎に投下された被爆国だ。だが、広島、長崎に先駆け、国内には原爆投下訓練を目的に原爆用の爆弾に通常の火薬を充てんした“模擬原爆”が国内五十カ所に投下され、大阪府内でも大阪市東住吉区田辺地区に落とされて住民に被害をもたらしていた。戦後五十九年目を迎え、人々の記憶が風化する中、あらためて田辺地区に投下された模擬原爆を検証してみた。



効果的訓練

本物投下なら大阪、堺全壊

2004/08/08
「7・26田辺の模擬原
爆」のパネル展を見入
る追悼式の参加者ら
 米軍は八月六日の広島、同九日の長崎に原爆投下を行った。ところが、日本の降伏が決定的となった終戦前日の八月十四日にも「米軍は保有原爆が一個もない段階でも愛知県春日井・豊田に七発の模擬原爆を投下している」(小山名誉教授)という。

 なぜなのか。小山教授はこの行為をこうみる。「とにかく、模擬原爆投下のデータが欲しかったのでしょう」。

 模擬原爆の資料を発見した愛知県春日井市の「春日井の戦争を記録する会」のメンバーも「春日井には、終戦間際に模擬原爆が投下されている」という。また、模擬原爆が投下された日本国内五十カ所には日付、ミッションナンバー、レーダーか目視か、爆撃高度、目標名称、着弾地点とともに「損害評価」を「Excellent(優秀)」「Good(良い)」「Hit(当たった)」「None(なし)」「Poor(乏しい)」「Unobserved(観測せず)」などと記述している。

 北田辺は、一九四五年七月二十六日、ミッション9、目視、爆撃高度二万九千フィートで破壊度の評価は「None」と記述。神戸市内でも七月二十四日に旧国鉄鷹取工場(須磨区若木町)、三菱重工業神戸造船所(兵庫区和田崎町)、神戸製鋼所と工場を中心に四カ所に模擬原爆が投下された。

 当時、ワシントンでは次のような電報が交わされていたという。

 「第五〇九部隊は(中略)日本に対する一連の空襲を始めた。その目的は搭乗員を目標地域と最後の任務遂行のための戦法に慣れさせ、また一方日本人に高い高度を飛ぶB29の小編隊を眺めることに慣れさせるためである」

 戦後出版された米軍資料「原爆投下の経緯」(東方出版刊行)には、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの機長だったポールW・ティベッツ・ジュニア准将がインタビューに答えている。模擬原爆による訓練作戦については「(模擬原爆の訓練は)実際、搭乗員たちがしてきた訓練の頂点だったから、たいへんに役立った。彼らに訓練用爆弾を与え、彼らを一つのピンポイント目標に送り出し、結果を写真に撮り−われわれは彼らに目視条件のもとに投弾することだけを許した」と、模擬爆弾の訓練が効果的だったと話している。

 そして、このインタビューを裏付けるように大阪・田辺に模擬原爆が投下された十一日後に広島、十四日後に長崎に原爆が投下された。「田辺に本物の原爆が投下されていたら、広島、長崎の被災状況から推測して大阪、堺の両市の建物を全壊し、十万人以上も死者が出ていた」と、小山名誉教授は言う。

 小学三年生の時に広島で被爆した語り部、飯田清和さん(69)=住吉区清水丘=は「これまでは被爆者ということを隠していた。しかし、今こそ原爆の悲惨さを語り継ぐのが私の使命」と話す。

 また、地元出身で、「7・26田辺の模擬原爆追悼の集い」の実行委員を務めるラジオ大阪記者の吉村直樹さんは「田辺に落とされた模擬原爆は広島、長崎の原爆投下に密接に関係がある。今の日本を取り巻く雰囲気は戦後というより戦前の嫌な雰囲気がある。今こそ平和を求める声を大きくしていかなければならない」と話している。



「7・26」の記録

米軍資料閲覧きっかけ

2004/08/07
1945年7月26日の大阪市東
住吉区田辺本町での模擬原
爆の爆発(東方出版発行の「
原爆投下の経緯」から)
 「『春日井の戦争を記録する会』のメンバーが発見しなかったら、模擬原爆の存在は分かりませんでした」

 こう話すのは「7・26田辺模擬原爆追悼実行委員会」のメンバー、大久保敏さん(57)。

 大阪市内に模擬原爆が投下されていた事実が分かったのは一九九一年十一月。愛知県の「春日井の戦争を記録する会」が国立国会図書館で、機密扱いが解除された米軍の資料を閲覧していて発見した。「B29の原爆を投下した第五〇九混成群が特別爆撃作戦の一環として一九四五年七月二十日から八月十四日までの間、日本国内の五十カ所をターゲットに一万ポンド(五トン)爆弾を使って原爆投下の訓練を行っていた記録があった」と、記録する会事務局の金子力さんは振り返る。

 五十カ所の一つとして「7・26 大阪府大阪市市街地」と記載されていたが投下地点は不明。この資料を受けて現代史を研究している関西大名誉教授小山仁示さん=北区中津=が大阪での模擬原爆投下の本格的な調査を始めた。判明したのは「投下は四五年七月二十六日午前八時−十時ごろ」「一機が大型爆弾を一発だけ落とした」「九千メートルと通常の爆撃より高い高度で飛行」−などだった。

 その結果、大戦中の大阪府警察局の報告書や大阪市が戦後作成した『昭和二十年大阪市戦災概観』から、現在の北田辺、田辺、南田辺、東田辺で午前九時二十六分に警戒警報が発令され、僚機を伴ったB29が大型爆弾一機を落としてすぐに引き返したことが判明した。「これらの状況や、一発だけにしては被害が大き過ぎることなどから模擬爆弾と分かった」(小山さん)という。

 原爆投下には厳重な秘密保持とともに綿密な訓練が必要だった。九千メートル前後の高度から投下し、五十秒くらい経過してから爆発する。原爆はB29の進路と同方向に落下していくため、そのままではB29は原爆爆発で生じる一万三千メートルに及ぶと想定される衝撃波に巻き込まれる。そこで、「原爆投下直後、巨大なB29の機体を右へ一五〇−一五五度急旋回させて退避することで、原爆の破壊力から逃れるという戦法が採用された」(小山名誉教授)という。

 この模擬原爆の投下訓練は、アメリカ本土ではマリアナ基地で繰り返された。テニアン島北飛行場配属の原爆投下の命令を受けた第五〇九混成群は七月二十日から日本本土で総仕上げの演習を始め、二十日、二十四日、二十六日、二十九日と国内三十八地点を目標に模擬原爆での演習を繰り返した。

 そして、八月六日に広島、九日には長崎に原子爆弾が投下された。長崎原爆で両親ときょうだい四人を失い、ただ一人生き残ったという山科和子さん(82)=東住吉区田辺=は「五十九年たっても原爆による放射能の機能障害が残る。昨年十一月、アメリカのニューヨークの大学、高校十三校で反原爆を訴えた。長崎原爆のせい惨な史実と体験を今後も語り継ぎたい」と話している。



東住吉・田辺の碑

平和願い遺族が建立

2004/08/06
今年も模擬原爆が投下さ
れた7月26日午前9時26
分から営まれた「7・26
田辺の模擬原爆」追悼の
集い=大阪市東住吉区田
辺1丁目、模擬原爆の碑前
 大阪市東住吉区の谷町線田辺駅にほど近いマンションの前に、ひっそりと石碑が建っている。その碑文にはこう記されている。

 「一九四五年七月二十六日九時二十六分 広島・長崎の原爆投下を想定してこの田辺の地に模擬原爆が投下され 村田繁太郎(当時五十五才)他六名が死亡 多数の方が罹災しました ここに犠牲者のめい福をお祈りし 戦争のない世界の実現と全人類の共存と繁栄を願い 碑を建立します」

 この石碑は、模擬原爆で亡くなった村田繁太郎さんの子息で中央区谷町六丁目に住む会社社長、村田保春さん(87)が二〇〇一年三月に建立した。

 模擬原爆は、原爆の投下訓練を目的に、原爆用爆弾に通常の火薬を充てんして投下された。一九四五年七月二十日から八月十四日にかけて大阪をはじめ東京、富山、滋賀、神戸、和歌山などに計五十発が投下され、カボチャのような形状から「パンプキン爆弾」とも呼ばれた。

 田辺地区への模擬原爆は、現在の田辺小学校の北側にあった料亭『金剛荘』に投下された。爆弾が投下された地域は家屋疎開が行われていたが、戦後大阪市が作成した「昭和二〇年大阪市戦災概観」によると、死者七人、重軽傷者七十三人、消失倒壊四百八十五戸、り災者千六百四十五人と被害が記録されている。

 当時、この爆弾については「一トン爆弾が投下されたと噂されていた」が、「実際は五トン爆弾で、それも模擬原爆という原爆の投下訓練用の爆弾だった」(「北田辺のまちづくりと歴史を考える会」の大久保敏さん)という。

 また、模擬原爆が投下されたのと同じ日付の大阪府警察局の報告書「空襲被害状況ニ関スル件」には、淡路島北部から大阪に侵入した米軍爆撃機B29は大型爆弾を一個投下したあと、大阪湾を南進していった−と記されている。

 関西大名誉教授で大阪空襲を研究している小山仁示さんによると、普通の例ではB29は西方の大阪湾から侵入して爆弾を投下した後、東進して熊野灘から脱却することになっていたという。ところが、この日のB29の行動は全く異例だった。小山さんは「白昼、しかも午前九時半という時刻に大型通常爆弾を投下したことも、原爆投下演習の特徴を示している」と話す。

 碑の前では今も毎年、慰霊祭が営まれる。碑を建立した村田さんは「田辺で毎年追悼の集いができるのはオヤジのおかげ。戦争の悲惨さを伝えるのが私の使命」と話している。




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