新聞は冬の時代から氷河期へ

それでも消えない役割と使命

金井啓子の伴走で伴奏

 大阪日日新聞が7月末で休刊になる。今月13日に同紙1面で告知されていた。この話題は他紙やテレビでも報じられていた。

 新聞が冬の時代に入って久しい。日本新聞協会が調査した「日刊紙の都道府県別発行部数と普及度調査」によれば、2022年10月現在の総発行部数は前年比で6・6%減の3084万6661部。これは18年連続の減少で、1年で218万504部も減った計算になる。

 日本ABC協会によると22年上半期の全国紙の発行部数は次の通り。朝日新聞は約430万部、読売新聞は約686万部、毎日新聞は約193万部、日本経済新聞は約175万部、産経新聞は約102万部である。新聞の総発行部数が1年で200万部以上も減っているということは、大きな新聞が1紙ずつ毎年消えていくようなものだ。冬の時代どころか氷河期である。

 私は大学でジャーナリズム論を教えており、学生たちに「なぜ新聞を読まないか」と尋ねることがある。その理由はさまざまだが、一番大きな理由は「なくても困らない」「ニュースならスマホで読める」というものだ。

 あるいは「お金を払ってまでニュースを読みたいとは思わない」という理由もある。それにしてはNHK以外は無料であるはずのテレビのニュースもあまり見ないという。要するにスマホが登場してSNSが発達すると、若い世代にとって既存メディアは化石のような存在で、自分たちには縁のないものという意識なのだ。

 ところが面白いことに講義で実際に新聞を読んでもらうと中には興味を持つ学生も現れる。スマホから流れてくるニュースと異なり新聞は物理的な広さを持っている。紙面に目を向けると記事だけではなく漫画や天気予報、また広告などさまざまな情報が飛び込んでくる。また紙面には複数の見出しが並んでいることで、数多くの記事の概要も判別できる。学生にとってこの経験は新鮮なものらしく、自分たちが単なる食わず嫌いだったことを悟る者も中にはいる。

 事件や事故、また政治問題といった世の中の出来事を伝えるメディアは必要だ。民主主義社会において国民の知る権利を代行するメディアの役割が消えることはない。ただし姿形を変えることはある。紙の新聞が消え、ネットに居場所を変えて役割を果たすことはこの先も求められるはずだ。

 さて、私のコラムも残り数回しかない。一つ一つのコラムを大切にし、気持ちも新たに残りの日々をパソコンに向かって文字を打ち続けたい。

 (近畿大学総合社会学部教授)

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