金井啓子の現代進行形

自然の静寂破る不快な“騒音”

2017年8月31日

楽器演奏もTPOわきまえて

 標高1400メートルのキャンプ場は気温20度前後。雲行きが怪しげなので急いでテントを張って中に入ると、すぐ雨が降り始めた。テントに当たるポツポツという単調な雨音を聞きながら寝転んで本を読んでいるうちにいつの間にか眠っていたが、隣接する牧場で草を食(は)んでいる牛たちの鳴き声で目が覚めた。

 いつの間にか雨は上がり、あたりを真っ白く覆っていた霧も晴れた。彼方(かなた)の山々に沈もうとする太陽を眺めつつ、火をおこしにかかった。少し赤らんだ炭に耳を近づけるとかすかなカチカチという音が聞こえ、火がおきたことがわかる。火の上に置いた網に肉を載せると、最初はジュージューいっていたのが焦げ始めるとパチパチと音が変わった。

 太陽が沈み一番星を見つけたと思ったら、またたく間に満天の星空が広がる。秋の虫の声がか細く響く中で天の川を眺めた。

 と、その時、急にギターの音が聞こえた。あわてて見回すと、10メートルほど離れた隣のテントにいる男性が歌いながら弾いている。妻らしき女性を前に、数十年前に流行(はや)ったフォークソング、演歌などを次々に弾き語りしていく。まあそれほど下手ではなく、そこそこうまい。だが、ポイントはそこではない。私は彼の“コンサート”を聞くためにその高原に来たのではない。日頃は人工的な音があふれている都会からしばし離れ、自然が生み出すかすかな音だけが聞こえる静けさの中に身を置けることを楽しみに、猛暑の大阪を抜け出して来たはずだったのだ。それなのに…。高原にあるその広々としたキャンプ場で憩っている人々の大半はおそらく私と同じ心境だったのではないだろうか。

 “開演”から数十分、いくつかのテントであかりが消える頃になってもギターが止(や)む気配はない。キャンプ場を歩いてみると少なくとも100メートル四方には響いており、ついに私の友人が「音が響くし、そろそろやめてくれませんか」と頼んだ。演奏中止を快諾してはくれたが、「迷惑だからやめてくれ」という隠されたメッセージはどうやら伝わっていなかったようで、当日も翌朝も謝罪らしき言葉は一言もなかった。本人としては水をさされた気分だったのだろうか。でも、いくらなつかしい曲を歌っても、他のテントから誰も近づいて来なかった時点で、自分は「歓迎されざるミュージシャン」であることを察するべきだったのに、その鈍感さには驚くばかりだ。

 そのキャンプ場には子どもや若者もいたが、大騒ぎをするテントは皆無。たったひとりの鈍感な人のために、静寂が破られたことは残念だ。私が再び彼に遭遇する可能性は限りなく低いだろうが、他にも被害が広がらないうちに、彼が周りの人の気持ちにもう少し敏感になってほしいと願うばかりだ。音を愛するならば、音に対する他の人たちの気持ちにも敏感になれるはずだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)