金井啓子の現代進行形

笑いと想像ふくらむ円笑落語

2018年3月1日

かたや想像力貧しい落語家も

 今年も笑福亭円笑師匠から、天満天神繁昌亭で彼の誕生日に行う落語会のお知らせが届いた。上方落語協会に所属し江戸弁で語る異色の存在である師匠には、実は当コラムを通じて出会った。東京出身の私が関西で暮らす生活を描いた時に、自身を重ねて読んでくれたのであろう師匠から手紙が届いたのが始まりだった。以来、師匠の落語を何度も楽しませてもらってきた。

 円笑師匠の落語は人情話が多い。心のひだの細かい部分に触れるような話が多く、時には艶っぽい話も混じる。単に笑わせるだけでなく、時にはしんみりとした心持ちにもさせる。力がある者がいばることをよしとする物語ではなく、弱い者の悲哀を優しい目で描き出したり、時には権力者をからかったり辛辣(しんらつ)な言葉を投げかけたりする。

 円笑師匠に出会う前から落語が好きだった私だが、落語家と身近に接してみて、人間を観察する力と自分が経験していないことでも想像する力にたけていることが、落語家には欠かせないし、落語の内容にも大きく影響することを知った。

 ところで、同じ上方の落語家でもかなりタイプが違う人もいるようだ。その人はインターネット上で「この国での貧困は絶対的に『自分のせい』なのだ」と書き込み、いわゆる“炎上”状態となった。また、貧困問題について触れる人々は「よほど強欲か、世の中にウケたいだけ」なのだとも書いていた。

 だが、本当に「貧困は絶対的に自分のせい」なのだろうか。私の周囲を見回してみただけでも、自分が原因ではなく経済的に苦しい人はいる。たとえば相手の強い希望で離婚せざるを得なくなった人、配偶者が急逝した人もいれば、本人の能力が原因とは到底思えない急な失職を経験した場合もある。この落語家の周りでは、自分のせいではない理由で貧しい人が一人もいないのだろうか。百歩譲ってそうだとしても、自分の知り合い以外にもそういう人が一人もいないと断定するのは、落語という市井の芸術に携わる人としてあまりに想像力に欠ける。

 「どんな時でも、人間は誰でもやればできる」というこの落語家の言葉にも違和感を覚える。若い頃に貧しい暮らしをしたが生き抜くことができた自身の経験を例に挙げ、「これ以上この国に何を望みますか?」と尋ねている。この人自身が生き抜けたことをもって、「誰でもやればできる」と断言するのは短絡的だ。どうにもならない弱い立場にある人に手を差し伸べる義務のある行政と憲法の必要性を否定するのは無知と言うしかない。

 さて、冒頭に書いた落語会は今月26日。客席にどんな客が来ているのか、聴衆がどのような雰囲気なのかを見極めながら話す内容を決めると、以前に円笑師匠から聞いたことがある。まさに「想像力」を駆使した人情味あふれる対応だ。今回はどんな話が聞けるのだろうか。

 (近畿大学総合社会学部教授)