澪標 ―みおつくし―

「ことば」は、何のためにあるのだろう

松本 昌子
株式会社ECC総合教育研究所
2017年2月27日

 ことばの機能にもいろいろあるのだが、その神髄は、「人と、心と心を通わせ合うツール」である、と私は考えている。目の前にいる人と心を通わせたいと思うとき、その人と自分の間には共通言語が必要となる。今、世界で一番、多くの人と共通言語を持てる言語は間違いなく、英語だ。そんな思いから、私は高校生のときより英語に特化した道に進んできた。

 皆さんが自分に言語の学習が必要なのかを考えるとき、「どんな場面で、どんな人と、どんな会話をするのか」を想像してみてほしい。その場面は、あなたが目の前の人と、「心と心を通わせ合いたい」と思う場面だろうか。

 例えば、私はチベット旅行の際に、チベット語を話せなくてもなんの不便も感じなかった。ガイドさんにすべて通訳をしてもらい、唯一、露店でサンゴのブレスレットを買うときはすべて日本語で押し通し、値切りにも成功した。また、インドのニューデリーに住んでいた時もそうだ。私は小学生で、ヒンズー語を話せなかった。それでも、例えば自宅の前に職場を構えていた洗濯屋さんがうちの門を開けてくれるとき、「Thank you」と言えば、ヒンズー語しかわからないはずの少年も、ニコッと笑い恥ずかしそうに去っていく。共通言語がなくても、その程度の意思疎通は可能であった。

 しかし、アメリカに留学したときには、当然ながら、目の前の人と心と心を通わせ合わなければならない場面に、いくつもいくつも遭遇した。とりわけ、韓国人と歴史問題を話すときはそうだった。議論になる度、私は朝までやっている討論番組のパネリストになった気分で激論を交わし、普段はその議論に臨むため、なぜかアメリカで日韓の歴史問題を熱心に勉強していた記憶がある。普段友達で、仲良く遊んでいる仲間から責め立てられる経験を日本ではしたことがなく、正直少しつらかった。そんなある時、一番日本人に対して厳しい感情を持っていた人から「日本人はいい人ばかりだし頭もいいね。日本人が好きになった」と言ってもらえた。私は決して、彼らにとって耳心地のいいことばかりを話してきたわけではないけれど、理解してくれたのである。

 相手を正しく理解し、自分の気持ちも間違いなく伝えるためには、共通言語と共に、一体感が必要だ。相手の目を見て語り、必要なタイミングで相づちを打つ。相手がどんなことばをどんな表情で語るのかを見て、ことばのニュアンスを感じ、行間を読み取る。また、自分の言葉で相手がどのように反応するのか確かめながら、自分の発することばも調整していく。これらはすべて、通訳者や翻訳機を通しての会話では、到底かなわないことなのだ。

 日本人は、相手をおもんぱかることにたけた民族だ。旅行やビジネス、知人との会話など、自分にとって価値が高いシーンにおいて、日本人が英語というツールを有効に生かせば、日本はさらに発展していくと私は信じている。

  (奈良県生駒郡)