澪標 ―みおつくし―

自立のために

鈴木 武司
関西学院初等部教諭
2017年3月10日

 教育の目的は何でしょうか。細かく挙げればきりがありませんが、最終の目的は、とりもなおさず子どもの自立です。われわれ教師や親はそのための支援をしているのです。

 初めまして、鈴木武司と申します。関西学院初等部という小学校で教師をしております。これから、教育のこと、学校のこと、子どもたちのことを中心に考えを述べさせていただきます。

 今回は、初等部の紹介を中心に書かせていただきます。

 ご存じの方もおられると思いますが、関西学院には、初等部の上に中学部があり、その上には高等部があり、そして大学があります。初・中・高・大合わせて16年間の一貫教育により、こころをはぐくみ、豊かな人格形成を目指しています。キリスト教主義教育のもと、初等部では「意志・情操・知性」の基礎を固めます。大学は127年の歴史があるのですが、初等部はまだ開校9年の新しい学校です。歴史は浅く、まだまだこれから発展途上の小学校といえます。

 そんな小学校で、現在2年の子どもたちの担任の先生をしています。初等部の朝は、礼拝から始まります。全校児童がチャペルに集い、心を落ち着かせて着席し賛美歌を合唱します。次に、聖書に載っている数ある聖句のうち、その日選ばれたものをみんなで読み、お祈りをします。そして、その聖句に関わりのある話を宗教主事の先生が語ったり、われわれ教師が自分のことを語ったりします。時には子どもたちが自分のことを語ります。そうして毎朝20分間チャペルでのお祈りの時を過ごします。

 毎日欠かすことなく続けられるこの礼拝は、年間200回を超えます。6年間で1200回を超えます。それとは別に、聖書の学習の時間が週に1時間あります。これも、聖書を使い、キリスト教の学習をします。そこでも聖句が用いられるので、子どもたちのそばには常に聖句が共にあります。

 キリスト教主義教育というのは、キリスト教を教えることを目的とした教育ではありません。キリスト教を通じて子どもたちのこころを育みます。本校に集う者たちは、聖句というフィルターを通して物事を見つめることができます。例えば、「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。」という、子どもたちからもよく口にされる聖句があります。私たちは、何かつらい出来事にさいなまれたときに、近くにいる仲間の存在をこの聖句というフィルターを通すことでより強く意識させられます。そして、その仲間の存在を、よりありがたいものと感じることができます。

 入学当初からそのような教育を受けてきた子どもたちが6年生になった時の、また、12年間かけてこころが育まれ、豊かな人間が形成された姿が今から楽しみです。そのような姿は、自立の姿であると信じています。

  (兵庫県宝塚市)