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澪標 ―みおつくし―





 

建築家・1級建築士  
円満字 洋介
2007/03/16

笑うこま犬(2)

 これほど笑っているのも珍しい。見れば見るほど本当によくできている。こいつの笑いには勢いがある。笑いには必ず動きがあるから、こうして固定化するのは至難の業だ。けれどこいつは確かにハ、ハ、ハァー!と大笑している。何をそんなに笑っているのか。

 ここは大阪の港区築港。海遊館の近くといった方が分かりやすいだろう。古い倉庫の立ち並ぶ一角に鎮座する港住吉神社がこいつの居場所だ。残念ながら年代は分からなかった。後ろに回っても銘板を外した跡があるだけだ。わたしの印象では、こいつは江戸時代のもの。港住吉神社ができたのが天保十三(一八四二)年だから、それから幕末にかけての作品に見える。

 こいつには友達がいた。神社の門前にあった銅像の軍馬だ。今は台座しか残っていない。日露戦争の記念碑だった。日露戦争の後も、あまたの軍馬がここから出征したようだ。そして最後にはブロンズ製の軍馬も供出されてしまった。こいつの銘板がなくなったのもその時だろう。こいつは友達のことを覚えているのか。

 前回の笑うこま犬は火害を受けていたが、こいつは水害に遭っている。しかも四度。こいつもなかなかどうして苦労しているのだ。昭和九(一九三四)年の室戸台風。その後、枕崎台風、ジェーン台風、第二室戸台風。いずれも高潮で地域全体が水没している。

 室戸台風のときは社殿も流れたそうだ。こいつの頭上を幾つもの船が流れていったろう。真っ黒な大きな影が頭のすぐ上を流れていく。生きた心地もしなかったろう。しかし復旧は早かった。社前の大灯籠(とうろう)は被災翌月に新調されたものだ。翌月とは驚きだ。人間たちはまず神社の復旧を急いだわけだ。こいつもきれいに洗ってもらって笑うこま犬復活である。

 次の枕崎台風もひどかった。昭和二十年九月。つまり敗戦の翌月。死者行方不明者三千七百余人。地下水くみ上げによる地盤沈下が被害を広げた。しかも沈下している分、浸水状態が長く続いたらしい。いつまでたっても水が引かない。さすがにこいつも何かおかしいと気づいたろう。誰もなかなか助けに来ない。当然である。地域ごと焦土となった上に水没しているのだから。今度こそ駄目かもしれない。でも鼻先を小魚が泳ぐのはまんざらでもなかった。きらきらと輝く水面を下から見上げるのはとても気持ちがよかった。

 そのときこいつは泳ぐ馬を見たとわたしは思う。見かけによらず馬は器用に泳ぐものだ。水しぶきを上げながら近づいてくる。最初、何がやってくるのか分からない。でもそれは忘れていた懐かしいものだ。ようやくこいつは友達のことを思い出した。お前かぁ、帰ってきたのかよ、うれしいよ! こうしてこいつはハ、ハ、ハァー!と笑ったのである。こいつの笑いはそんな笑いだ。やっぱり笑うこま犬はおもしろい。

 (えんまんじ・ようすけ 京都府向日市)

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