日曜インタビュー

「現実」と「寓話」のはざまで

映画 「太陽」 監督
入江 悠
2016年4月24日

土着的なSF青春物語

「SFは大好きなジャンルだった」と話す入江悠監督=大阪市内
神木 隆之介

 劇団イキウメの戯曲を映画化した「太陽」(KADOKAWA配給)が大阪のシネ・リーブル梅田で上映されている。近未来、ウイルスで人類が二分化されたとき、人間はどう生きるかというSFストーリー。「土着的な青春物語で、現実と寓話(ぐうわ)のはざまで生きる人たちを描いた」という入江悠監督に話を聞いた。

■原点に返る

 −自主映画からメジャーに進出した。今度のチャレンジは?

 元々、ハリウッドの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ターミネーター」などが大好きで、そういうSF映画を撮りたいと思って映画の世界に入った。しかし、気がついたら「サイタマノラッパー」シリーズの後、メジャーの松竹で音楽青春映画「日々ロック」、東宝でアクション映画「ジョーカー・ゲーム」を撮ったが、どこか届かないところがあったのは確か。だったら今度は原点に返ろうかと思った。

 −舞台劇「太陽」の映画化だ。

 劇団イキウメの前川知大さんが脚本・演出した舞台を見て、これを映画でやりたいと思った。SFだがハリウッド的ではなく、日本の土着的なテイストがある物語で、「未来の社会」を作ってみたいと思った。人類がバイオテロのウイルスで二分化され、太陽を回避して生きる新人類「ノクス」と、太陽の下で生きる旧人類「キュリオ」の対立を描いている。

 −ノクスは裕福だが、キュリオは貧困。分かりやすい格差社会だ。

 ノクスはいわば吸血鬼ドラキュラの世界観があり、その世界はキュリオの憧れ的な存在でもあり、主人公のキュリオの青年・奥寺鉄彦(神木隆之介)もノクスに所属替えしたいと思っている。彼の恋人の生田結(門脇麦)は貧しくとも太陽の下で生きるキュリオを離れる気はない。20歳前ならその転向手続きができるというルールがある。

■親子と家族

 −結は母親(森口瑤子)がノクスに転向して父親(古舘寛治)を捨てている。

 映画は鉄彦と結のラブストーリーと同時に親子や家族の問題など普遍的なテーマも入っている。脚本は最初、前川さんに書いてもらって3時間くらいになったので僕が少し短くした。前川さんはノクスの方を長く書いていたが、僕はむしろキュリオの方を長くした。日本でSFものを作るのは資金的に大変なので、その辺は物語の面白さで見せなければならない。

 −「サイタマ−」がそうであったように、青春映画のにおいが強い。

 「サイタマ−」は狭い埼玉の田舎でくすぶっていた若者の脱出劇とすれば、今回も鉄彦のキュリオからの脱出劇になっているかもしれない。あくまで寓話であるが、現実的な側面もあるし、若い世代の人たちに見てほしい。神木君と門脇さんがすごく熱心に取り組んでくれたのが大きく、ほかの役者さんと「合宿」ロケになったこともあって、ストーリーの世界に入り込んでくれた。

 −ロケ撮影はどこで行ったのか。

 埼玉県奥秩父と山梨県の三富地区。ノクスとキュリオの境目に橋を入れたかったが見つからず、それを作り込んで撮影に臨んだ。山の中の自然を取り入れ、特に「音」にはこだわった。近藤龍人カメラマンが「人間」と「昆虫」の世界をまるで時代劇のように撮ってくれた。僕もテレビで時代劇をやったばかりでキュリオの世界はそれに近いと思った。

■幸せはどこに

 −ノクスとキュリオはどちらが幸せなのか。

 キュリオの生活が貧困であるのに対し、ノクスのそれは裕福に見える。実際はどちらが幸せなのか。現実と寓話の世界だが、鉄彦が「太陽なんていらない」と口走るが、それはどういう意味なのか。太陽の大事さを知っているのは、それにさらされると死んでしまうノクスたちなのかもしれない。鉄彦がピュアなだけに怖さがあるが、その選択肢を見届けてほしい。

 劇団イキウメの「太陽」公演が6月3〜6日に大阪のABCホールで行われるので、未見の方はそちらの方も見ていただけたらうれしい。