亀井澄夫の妖怪不思議千一夜

大阪市中央区心斎橋筋

2017年3月11日

怒りのすっぽん、板前を襲う

「ほら、おまえの包丁じゃ」イラスト(C)合間太郎

 動物や化け物との約束事を、たいてい破るのは人間である。伝説や昔話の世界で、人間以外のものが約束を破ることは、まずない。

 これは心斎橋にあった、すっぽん料理で有名な料亭での話。江戸時代の終わり頃、1860(万延(まんえん)元)年の出来事である。その店の料理は、すっぽんの肉や内臓をぶつ切りにして煮込む「丸煮仕立(まるにじたて)」というのが人気。そこの板前の中でも吉兵衛は、すっぽんさばきの名人として知られる男。彼が特に大事にしている包丁があって切れ味抜群である。

 ある日、井戸端で自慢の包丁を調子よく研いでいたが、ちょっとしたはずみで井戸の中に落としてしまった。一番大事にしている包丁なのでどうしてもあきらめきれず、すっぽんの中でも大きなのを選んで「頼む。井戸の中に降りて、俺の包丁を取ってきてくれ。そうしたら、おまえを池に逃がして自由にしてやる。頼む」と言うが、すっぽんの反応がない。しかし、何度も頭を下げて頼んだら、ようやくすっぽんも、長い首を出してうなずいた。

 「ありがたい」と思った吉兵衛は、すっぽんを縄でぐるぐる巻いて井戸の中にするする降ろすと底にあたった。と思ったら、クイクイ縄を引っ張るので上げてみると、上手にすっぽんが包丁をくわえている。

 「でかした」と言って包丁を受け取ると、なんとその包丁で、すっぽんの首をスパリと切って、血を茶わんで受けとめたのだ。今夜の材料しようと思ったその瞬間、落としたすっぽんの首が飛んできて吉兵衛ののど笛に、ガブリとかみついた。

 相手が畜生とはいえ、こんなことをしてはいけませんね。約束を破るのは、古今東西、いつの世も人間なのは悲しいことです。

 (日本妖怪研究所所長)