澪標 ―みおつくし―

軽やかに飛び越えていく「知性」

呉 多美
ピアニスト
オンガージュサロン主宰
2020年1月27日

 二十数年前のある夏、神々しいほどの朝焼けを見た。大切な人が亡くなったというのに陽はまた昇るのかと思った。前日に父が亡くなり、自死だった。享年52歳。

 父は在日コリアン2世として大阪に生まれた。戦前、祖父母は韓国・済州島から日本に渡って来て一財を成した。ヘップサンダルやサッシなどの工場経営が軌道に乗った後、不動産業を営むようになってからは経済的には困窮しなかったが、ワンマンな祖父はよそでも家族を持つようになり、父の育った家庭は早くから機能不全に陥っていた。そんな家庭で長男として育った父は精神的に不安定だったが、成績は優秀で東京の大学を卒業した。しかし1960年代当時、大卒でも在日コリアンは一般企業に就職できなかった。就職差別という壁を前に父は祖父の会社の後取りとして帰阪した。それは父にとって精神的自立を手放すことを意味した。

 父は私たち子どもの教育に熱心だった。いわゆる教育パパというのではなかったが、子どもたちにのこしてやれるものは知性しかないと考えていたのかもしれない。その知性とは日本社会を突き抜けて世界へつながっている必要があった。「在日」という見えない壁を軽やかに飛び越えていく知性。

 父の死後、私たち家族はグリーフ・サバイバー(自死遺族)として苦しんだ。罪悪感に苛まされ、徐々に鬱(うつ)症状がひどくなり、第一発見者だった私はよくフラッシュバックを起こして心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患った。

 そんな時、人の薦めである本を手に取った。それはアメリカの精神科医E・キューブラー・ロス博士が書いた「死ぬ瞬間」(1998年/読売新聞社)で、否認と孤独/怒り/抑鬱など末期患者が自らの死を受容するさまざまな段階について書かれていた。グリーフ・サバイバーのための本ではなかったけれども、近親者の喪失は遺族をも死の淵に連れていくのだろう。

 死後の世界についても興味を持った。もし魂というものがあるならば、父の魂はいまどこにいるのか、何か言い残したことがあるのではないか…とイタコを訪ねたこともあった。その人はこともなげに言った、「お父さんはもう生まれ変わっていますね」。家族がこんなに苦しんでいるというのに勝手に生まれ変わっただなんて…。肩透かしを食らった気分だった。

 生まれ変わりがあるのかどうかはどちらでもよいけれど、もし父が死んでなお生まれ変わることに希望を持っていたのなら、生き遺った私たちはいま生きている意味を答えられなければならない。

 母の希望により、よく夏休みに訪れた白浜の海に散骨することになった。妹弟と父の思い出話を泣き笑いしながら金づちで遺骨を砕いた。粉々になった父を眺めて、もう自分の人生を生きようと思った。生きることの意味、それは人生を味わうことでしかない。人生を味わい尽くして、私もまた骨になって海に帰っていこう。

 はからずも、父は私たちに生きる意味を問う「知性」を自分の身をもって残してくれた。

 (大阪市天王寺区、オオ・タミ)



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