澪標 ―みおつくし―

「禅の心」と互いに溶け合う

金岡 重雄
株式会社カナオカ機材取締役会長
2021年3月8日

 この世の主人、大自然の親ともいえる存在は「禅」であると信じている。暮らしの最高の条件に富や位を挙げる人もいる。それもないよりあった方がよい。しかし、私にとって唯一最高の条件は、禅の心と互いに溶け合うことであると思う。

 これまで83歳の人生を生きて来た。いや、禅の心によって生かされてきたような気がする。われわれ日本人の平均寿命は84歳(厚生労働省が2019年7月に公表の簡易生命表によると日本人の平均寿命は、男性が81・25歳、女性が87・32歳)といわれている。

 許されて生きるなら、115歳までは人生を歩み続けたい、と考えており、充実した人生とするためには、「禅の心」と一体化した、溶け合うことが大切だと考えている。

 「禅の心」は奥深く、一口では語り尽くせないが、私は「日々の座禅を通じて、精神を統一して、ひたすら無の境地に浸ることで、自分自身を見つめ直し、真理を追究し続ける心」と解釈している。

 私と禅との関わりは50年余りになる。修行の一環として、人生や生きている意味など、自分自身に問い続ける中で、自然と禅の心にひかれるようになった。毎朝、座禅をし、般若心経の写経も続けている。修行に終わりはなく、気力、体力が続く限り続けようと思っている。

 「禅の心」を極み続けることは、私の生活の一部になっており、多くの禅の師との出会いも忘れられない。私が評議員を務めている、長岡禅塾(京都府長岡京市天神)の半頭大雅老師(浅井義宣・長岡禅塾第三世塾長)からも多くのことを学んだ。

 すでに故人となられたが、「もっとも禅僧らしい禅僧」と称された老師で、地元の人たちに愛される一方、国際的な禅の普及にも貢献。人間的魅力に満ちあふれた老師だった。こうした素晴らしい禅の師は、私にとって人生の師でもあり、時折、思い浮かべては自分自身を見つめ直している。

 禅の心を学んでいく中で、只管打坐(しかんたざ)という言葉をよく耳にする。ただひたすら坐禅に没頭すること、という意味で、そこから禅定(ぜんじょう)(心の安定)の境地を体験できるとされている。曹洞宗の開祖「道元」の教えである。

 私も毎朝、座禅に没頭し、精神修養を積み重ねている。人生についても考えることが多く、子どもの頃、事故と病で生死のふちを2度さまよった臨死体験から、「生きているのではない。生かされているのだ」という人生観が自然と芽生えたのも、禅の心を学んできたことが影響している。

 「生かされていること」に感謝の念を抱きながら、現在、元気で働けるのも家内の厚い信仰心のおかげと感じており、「全てに感謝」の気持ちを持ち続けることができるのも、大自然の親である「禅」の存在が大きい。

 天地自然の恵みをいただきながら、生かされている人生に感謝し、一隅を照らす生き方を実践していきたいと考えており、「吸うこと」より「吐くこと」を大切に、ご縁をいただいた皆さまに喜んでいただくことが、太陽のように明るい心で輝かしい魂を得ることにつながると信じている。

 そのためには、常に「禅の心」に寄り添い、溶け合うことが大切と考えている。

 (大阪府東大阪市、かなおか・しげお)



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